スパルタンレース、バーティカルランニング(階段垂直マラソン)の選手として活躍しつつ、パーソナルトレーナーとしても活動している陣在ほのか選手。学生時代は陸上競技に打ち込み、全国の舞台で成績を残してきた。そんな彼女がスパルタンレースに惹かれ、競技に打ち込むようになったルーツとはどのようなものなのだろうか。そして、彼女が目指す選手像とはいったい――。インタビュー1回目となる今回は、陸上部時代からスパルタンレースに挑戦するまでを伺った。
走りの原点は陸上競技。学生時代に動きの基礎を習得する
――スパルタンレースとはどういった競技なのでしょうか。
「一言で言うと障害物レースです。飛んだり投げたり、走ったりするのはもちろん、登ったりもしますね。今は日本だと、スプリント(5km以上+障害物約20)、スーパー(13km以上+障害物約25)、ビースト(21km以上+障害物約30)と3段階の距離があって、その中で20~30ほどの障害物があるような形です。SASUKEの走るバージョンと言うとわかりやすいかもしれませんね(笑)。ただ、SASUKEは失敗するとそこで脱落なのですが、スパルタンレースでは失敗しても、バービージャンプを30回したら次にいけるんですよ。障害をクリアすれば3秒で終わるものが、失敗したらかなりのタイムロスになりますよね。足が速いだけではダメで、そこが面白さでもあります」
――ひとくちにスパルタンレースと言っても、距離もさまざまなのですね。
「はい。距離でクラスが分かれていることに加え、その他にエリートと呼ばれる私が出ている賞金レースや、エイジと呼ばれる年代別で順位が決まるようなレースもあります。あとはオープンと呼ばれる、チームで出場できるクラスもあります。壁を登れなかったら男の人を踏み台にしたり、10人で出たらペナルティのバービージャンプを30回のところを、みんなで分けたりもできます」
――過去を振り返っていただくと、学生時代はずっと陸上をやっていましたよね。
「はい。中学生の頃から陸上をやっていて、専門は800m走でした。今とはまったく違うスピード系の選手で、中学では全日本中学体育大会、高校では全国高等学校陸上競技対校選手権大会(インターハイ)などの全国大会にも出場していました」
――ちなみに、陸上をやろうと思ったきっかけは?
「両親が元陸上選手で、兄も陸上をやっていたんです。私はもともとサッカーをやっていたのですが、陸上も面白そうだなと思っていました。陸上を本格的に始める決め手になったのは小学生の時で、市民大会の800m走に出たら市民記録が出たんです(笑)。それから、周りから『陸上やりなよ』と声をかけられることも多くなって、中学生から陸上を始めることにしました」
――中学生からトップレベルで活躍するには、相当な練習を積まれたと思います。どんな学生時代を送っていましたか。
「学校での部活動で日々練習に打ち込みつつ、中学時代はFCコラソンというクラブチームにも所属していました。技術的や体力を磨けたことはもちろん、そこで出会ったコーチが、私の陸上人生を変えてくれました。挨拶や心構えといった人間性や、下の子を育てるなどの気遣いも学びました。クラブチームで学んだことは、今でも私の人生の土台になっています」
――ちなみに、高校ではどのような練習を?
「女子は800mを専門でやっている子がなかなかいなかったので、男子と練習する機会が多かったです。競い合う中でも、自分の走りに集中できる環境があり恵まれていました。それからはすべての基礎になる、走りの動きづくりを徹底的に教えていただきました。たとえば、ハードルならハードルをひたすらやるなど、ひとつの動きをできるまで体に染みこませる感じです。練習日の中に『動作メインの日』というのが設定されていて、1時間以上走るための動きを確かめることもありました。今振り返ると、それが一番大事だったなと思います」
――大学に上がってからの日々はいかがでしたか。
「大学に入ってからは基礎練習が減って、メニューを出されて自己管理を任される機会が増えました。私はそこで力不足で、自己管理を徹底できずにいたんです。これはまずいと思って、かつてのクラブチームや高校の練習に参加したのですが、管理してもらわないとできない自分だったので、なかなか上手くいきませんでしたし、ケガも多くなりました。もともと、日本選手権で闘える選手になりたいと思って日本体育大学に進学したんですけど、ケガやコロナの影響もあり、目標を実現することはできませんでした。ですが、ケガや自己管理で苦労した経験があったからこそ、今の自分があると思っています」