コロナ禍で休止中だった「髙田一也のマッスルラウンジ」が大復活! 再開一発目は今年、デビュー25周年を迎えたカリスマプロレスラー・CIMA選手が登場! かつて、同じジムでトレーニングをしていた旧知の仲のふたり。今回は年齢を重ねることでの変化について。
「現実で見られるものは見せるべきではないと思います」(CIMA)
「同世代の方々と比べて体力、筋力的に抜きん出ていないと」(髙田)
――CIMA選手はトレーニングや食事に関することで、髙田さんにお聞きしたいことはありますか。
CIMA:食ですね。食の暴走を……。
髙田:でも十分、わかっていらっしゃいますよね。体もキープされていますし。
CIMA:わかっているはずなんですけど、こんなに食べるの好きやったかなって思う時があるんです。
髙田:食べられるのはすごいと思うんですよね。普通は歳を重ねるごとにだんだん落ちてくるわけじゃないですか。それだけ動いているし、エネルギーが必要なわけですもんね。
CIMA:でもやっぱり、Netflix(ネットフリックス)とか悪いですよね。あれを見ながらコーヒーを飲んでいると、無意識でチョコレートとか食べているんですよ。それこそ以前はビッグマッチがあったらそこにピークがくるように、3ヵ月前から節制をはじめたりしていたんですけど、それが最後の3週間だけやるとか、そんな感じになってきているんです。
髙田:でもたぶん、ご自身への評価が厳しいんだと思うんですよ。普通に見たらしっかりされていると思うんですけど、ご自身の中ですごくがんばられていた時期と比較すると、ちょっと緩いかなと思われていると。でも、コンディションの管理ができていらっしゃるから、ずっとトップレスラーでいられると思うんですよね。
CIMA:もうひとつ悩みというか昔と変わったなと思うのは、トレーニングでも昔は着替えていきなりベンチプレスとかスクワットからスタートみたいなことができたんですけど、今はそれがまったくできなくてですね。まずは30分くらいストレッチポールとかをして、可動範囲とかバランスを整えて。それは悩みと言えば悩みかもわからないですね。
髙田:長くやっていらっしゃると、そういうところはだんだん変わっていきますよね。
CIMA:試合の翌日なんかは、階段を降りるのがきつかったりしますね。そうなるとどうしてもトレーニング自体が甘くなってしまうんですよね。
髙田:でも、ご自身で把握されているので、そのやり方がベストなのかなと思います。僕なんかは本当にウエイトトレーニングだけをやっている人間なので、おそらく去年よりも今年がよくなっていっているんですよね。どう老後を迎えるかじゃないですけど、途中からそれが目標になっています。僕くらいの歳になると、まわりに亡くなる方が出てきたりするんですよ。
CIMA:穏やかじゃないですね。
髙田:自分は今後、どんなふうに生きていくのかなというところでのウエイトトレーニングとの関わり、みたいなことを考えていて。自分ほどトレーニングが嫌いなトレーナーっていないと思うんですよ。もう毎日、しょうがないからやっているんですけど、その中でもしっかりベストでやると決めています。ただ、やるまでが本当に嫌で嫌で、やめる理由をいつも探しながら、もうこの27年くらいトレーニングをやっています。
CIMA:若い時もそんな感じですか?
髙田:若い時は楽しかった時期もあったと思います。ただ、今までたくさんのクライアント様を教えてきて思うのが、僕は本当に素質が悪いなと思うんですよね。みなさんいいなって、ちょっとうらやましく思うくらいなんですけど。最初の頃はちょっと体が変わったことが楽しくて調子に乗ったんですけど、その程度のトレーニングをしているうちは次にいけなかったというのがあって。「楽しいな」と思っている頃の自分と、「本当に嫌だな、トレーニング」と思い始めた頃は、もう全然体が変わったんです。CIMAさんはトレーニング好きですか?
CIMA:僕も戦っている時はありますね。昔だったらジムも22時くらいには閉店だったじゃないですか。だから、行く行かないの決断も20時くらいには下さないといけない。今はたとえ20時からNetflixを見ていたとしても……。
髙田:Netflix好きですね(笑)。
CIMA:24時間やっているので、真夜中でも行けてしまうんですよね。僕らの職業はある程度フレキシブルにできるので、そのへんがギリギリ保てているところかなと。あとはさっきの髙田さんのお話じゃないですけど、亡くなられる方とか病気される方が出てくるのと一緒で、リングではものすごく元気に見えていても、バックステージでは若手の肩を借りないと階段を上がれないという方もいらっしゃるんです。自分はそこまで悪化させないように、今の状態で踏ん張るにはどうすればいいかを試行錯誤した結果、まずは体が動く状態を30分くらいかけてつくってから、トレーニングに入ろうと。そういう意識の変化はありますね。だから今は、ムキムキのいい体というよりも、ある程度動ける体をどれだけキープして、可動性も上げてということを考えるようにはなってきましたね。
髙田:扱う重量も年齢によって変わってきましたか。
CIMA:めちゃくちゃ落ちました。デッドリフトとかもよくやっていたんですけど、腰をいわせてからはデッドリフトの体勢から物を持つのが、ぎっくり腰との戦いくらいの感じになってしまいましたね。試合の時も、入場ゲートの後ろまでストレッチポールとマッサージガンを持って行っているんですよ。新日本プロレスさんの東京ドームで試合をした時は、控室から車で一度公道を出て、入場口まで連れて行ってくれるんです。最初それを知らなくて、「もう試合まで控室に戻られへん。マッサージガンないけど大丈夫かな」となって、ものすごい怖なったんです。
髙田:レスラーは大変ですね。
CIMA:トップロープから飛んだりとか、それができなくなったら、非日常は見せられなくなりますよね。プロレスの会場は、大人であれば一生懸命働いて、学生の子だったらお小遣いを使ってチケットを買って見に来てくれていますんで。現実で見られるものは、やっぱり見せるべきではないと思っています。そういう意味ではやっぱり、ヒザが痛くても自分でヒザを打ちつけるようなことをして、みんなが喜んでくれたら僕はオシャレだと思ってしまうクチなので。痛いだなんだというのは終わってから考えようと。
髙田:やっていることはまったく違うんですけど、考えは完全に一致しますね。トレーナーという立場ですけど、僕もCIMAさんと同じように非現実を見せなければいけないという考えを持っていて、自分と同世代の方々と比べて体力、筋力的に抜きん出ていないといけないと思っています。なので、逆に自分は今、伸びている種目があったりします。CIMAさんと同じジムでトレーニングをしていた時は、40歳を超えたらもうダメだと思っていたんですよ。その時代は40歳を超えてしまうと、どうしても筋肉量が落ちていく方々が多かったんです。だから自分のピークは40歳だと思っていたんですけど、意外とそうでもないんだなというのが最近すごくわかってきて。一番感じるのが自分のクライアント様からなんですよね。40歳を超えてから来てくださったある社長さんは、僕の指導でしかトレーニングをしないので週に3時間しかないんですけど、最初にいらっしゃった時は腸に重い病気を抱えていて、身長が181cmなのに体重が68kgしかなかったんですよ。その方は今97kgあって、46kgのショルダープレスを余裕で12回とかできるんです。ベンチプレスも160kgでセットを組んでいます。人間ってすごい可能性があるんだなと思って。その方は若い頃、ハードにスポーツをしていたので、関節のケガが多かったんですが、先ほどお話ししたような感じで強化しながらやっていったら、今はもう全然手首やヒジも痛くなくなっちゃって、うちのジムにいる人たちの励みにもなっています。僕は今、そこをすごい研究しているんですよね。アンチエイジングというか、歳を取ってからの自分が、どういうふうに快適に生きるか。そこを指導できるように自分もやっているというか。
CIMA:尊敬できない体をしているトレーナーさんのジムには、習いに行かないですもんね。
髙田:意外とそういうトレーナーさんもいたりするじゃないですか。教えることはできるけど、自分で実践していないみたいな。でも、トレーナーってそこが大事じゃないのかなと昔から思っていて。自分も習いに行く時はすごい人に習いたかったですし、説得力は持っていたいなとずっと思っているんですけど。自分もクライアント様に影響を受けてテンションが上がったり、「絶対負けないようにしなきゃ」という気持ちもあったりしますし。だから老後ですね。ありえない老後をどうやって生きるかみたいなことを考えています。
撮影/佐藤まりえ 取材・構成/編集部
髙田一也(たかだ・かずや)
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP
CIMA(しーま)
本名・大島伸彦。1977年、大阪府出身。1997年に闘龍門1期生としてメキシコでデビュー。2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝となったが、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめた。2004年、闘龍門から闘龍門ジャパンが独立しDRAGON GATEとなると、同団体でもエースとなり数多くの王座を獲得。2018年には海外を中心としたOWEで活動することを発表。ユニット#STRONGHEARTSで国内でも数多くの団体に精力的に参戦。2021年には全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王座を獲得。他の選手と同じ技を使いたくないというこだわりを持ち、数多くの高度なオリジナル技を開発。多彩なテクニックと、巧みなマイクアピールで現在もトップ戦線を走り続けている。2021年3月12日新宿FACEでのリング上で、自身と#STRONGHEARTSのGLEATの入団を発表。リデットエンターテインメント株式会社の執行役員、及びGLEATのChief Strategy Officerに就任。
GLEAT公式HP