佐久間編集長のパーソナルトレーナー百人斬られ(仮)Vol.24 林健太 前編




VITUP!編集長・佐久間が全国のパーソナルトレーナーさんを巡っていく「パーソナルトレーナー百人斬られ(仮)」。今回は“マルチフィットネストレーナー”として、幅広い指導で活躍する林健太トレーナーが登場。前編ではその歩みを紹介します。

“マルチフィットネストレーナー”として活動する林健太トレーナーは、その名の通りマルチな活動を展開しています。パーソナルトレーナーはもちろん、昨年12月にオープンしたばかりのフィットネスプロデューサーAYAさんがオープンしたFIT-LIFE GYM「Feelin’Good 虎ノ門」のトレーナーをはじめ、SIXPAD HOME GYMインストラクター、スパルタンレースSGXオフィシャルコーチの顔を持ち、さらには「ウイメンズヘルス」のライターも務めています。

 

そんな林さんがウエイトトレーニングを始めたのは、なんと14歳のとき。父親とともに、地元にやってきた新日本プロレスを観戦したことをきっかけに、プロレスラーを志し、ジム通いを始めました。

 

「プロレスを生観戦したことをきっかけに、深夜の中継も見るようになって、プロレスラーになりたいと思いました。ちょうどその頃、家の二軒隣りに空手道場とジムが一緒になったようなトレーニングジムができたんです。料金も安く、何歳からでもOKだったので、14歳のときから通うようになりました。狭いところでしたがマシンは一通りあって、スクワットやベンチプレスなど、オーソドックスなトレーニングを教わった通りにやっていました」

 

ジムで体を鍛えていた林さんは、プロレスラーに近づくため、高校、大学ではレスリングに取り組みます。ところが、プロレスラーになるための手段だったレスリングそのものが楽しくなっていき、それと同時にプロレスラーへの思いが変化していきました。

 

「元々はプロレスラーになるためにレスリングを始めたのですが、大学のときは、大学スポーツとしてのレスリングが楽しくなっていて、何がなんでもプロレスラーになりたいという気持ちは薄れてしまいました。結局、大学卒業のタイミングでプロレス界に進むことはなく、食品メーカーに就職しました」

 

大学卒業後、大手食品メーカーに就職した林さんは、サラリーマンとしての日々を過ごします。生活は安定している一方で、社会人となって約3年が過ぎたところ、その生活に疑問を持つようになっていったと言います。

 

「父親が調理師で、スーツを着る仕事ではなかったんです。その姿を見て育ったので、自分がスーツを着て仕事をしていることに違和感がありました。プロレスラーを志して、高校、大学と7年間レスリングでしんどい思いをしながら鍛えてきたのに、何のためにやってたんだ?と思ってしまったんです」

 

こうして原点に立ち返った林さんは、食品メーカーを退社。プロレスリング・ノアの練習生に応募し、入門テストに合格して、中学生時代からの夢だったプロレスラーへの第一歩を踏み出しました。

 

ところが、夢への挑戦は思いもよらない形で、唐突に終わりを迎えます。練習生として、厳しい練習と雑用を乗り越え、デビューに向けて、受け身の練習に取り組んでいたとき、頭痛に悩まされるようになっていました。病院で検査をしたところ、ドクターストップがかかってしまい、レスラーへの道が断たれてしまったのです。

 

「頭という場所が場所なのでレスラーへの道は断たれてしまいましたが、会社が配慮してくれて、レスラーは無理だけど、スタッフとしてなら会社に残っていいと言ってくれました。居づらいなという気持ちはありましたが、誰でも入れる業界ではないですし、ここで辞めたら一生プロレスと関われることはないと思って、スタッフとして働かせてもらうことになりました」

 

練習生から団体スタッフに転身し、雑務をこなしていく日々。そうしたなか、2013年5月、団体の看板選手だった小橋建太選手が引退し、独立して自らの会社を設立しました。この流れを受けて、団体スタッフとして小橋さんの仕事に帯同する機会が多かった林さんは、マネージャーとして働くことになりました。

ここで一つの転機がやってきます。小橋さんがプロレスのトレーニングを生かした「プロレスエクササイズチャレンジ」という、一般の方を対象にしたトレーニング事業を始めました。そのサポートで林さん自身もトレーナーとして、指導するようになり、新たな道が開けていったのです。

 

「プロレスはできなくなっても、トレーニングはずっと続けていました。そのなかで小橋さんのプロレスエクササイズのお手伝いをさせてもらって、今まで自分がやってきたことを生かす道として、トレーナーの道へと進んでいくことになりました」

 

どこかのパーソナルジムに属することなく、一人でフリーとしてトレーナー活動を開始した林さんは、自分を磨くことと、常にアンテナを張ることで、道を切り開いていきます。

 

「本格的にトレーナーを始め、軌道に乗り出した頃、ちょうどコロナ禍になり、やることがなかったため、勉強をしていろいろな資格を取りました。また、常にアンテナを張るようにして、ちょっとしたきっかけでも、膨らませられるようにしたいと心掛けています。SIXPAD HOME GYMもインスタに出ていた広告を見て、オーディションに応募しました。これが『ウイメンズヘルス』という媒体とのコラボだったので、紹介記事も書いてもらうのではなく、自分で書かせてもらって、ライターとして100本以上かかせてもらっています」

 

今では、NESTA-PFT、スポーツフードスペシャリスト、NESTAシニアフィットネストレーナースペシャリスト、スパルタンレースSGXオフィシャルコーチ、ストレッチングトレーナーといった資格を取得。冒頭に紹介したさまざまな活動は、アンテナを張って、行動を起こすことで手に入れてきたものです。

 

精力的にマルチな活動を続ける林さんの目標は、「フィットネス界のアイコンになる」こと。

 

「元々はプロレスラーとして、人に夢を与えたり、元気を与えたりできる存在になりたいと思っていました。その気持ちは今も同じで、フィールドが変わっただけです。AYAさんみたいなフィットネス界のアイコンになれたらと思っています。男性では筋肉のすごい人はいても、フィットネスのアイコンみたいな方はなかなかいないと思うので、そういう存在になりたい。そのためにはもっと知識を増やしたり、指導力を高めたり、メディアへの露出も増やしていきたいです」

 

人に勇気や元気を与えるフィットネス界のアイコンへ。これまでがそうだったように、林さん常にアンテナを張りながら、自分を高めて、目標への道を切り開いていくことでしょう。

 

というわけで、今回はここまで。次回はマルチな指導をする林さんが私のために用意してくれたトレーニングの実践編をお届けします。

 

取材協力=Feelin’Good 虎ノ門ジム

 

【トレーナーPROFILE】
林健太(はやし・けんた)
1987年3月27日、京都府出身。14歳からプロレスラーを目指してウエイトトレーニングを始め、学生時代はレスリングに取り組む。プロレス団体に入門したが、ケガでプロレスラーへの道を断念し、フィットネスの魅力を伝えるためトレーナーに。Feelin’Goodトレーナー、SIXPAD HOME GYMインストラクター、スパルタンレースSGXオフィシャルコーチなど、幅広く活躍する。パーソナルのお問い合わせは下記HPやSNSより。
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佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、高校日本代表選出、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアン、パラリンピアンの取材を手がける。