野球の補強としてトレーニングを始める
――ボディビルは世間での理解度が低く、偏見を持たれやすい競技です。
鈴木 私のなかにはボディビルに対する偏見はありませんでした。小学校5年生のときの担任の先生がボディビルをやっていて、ミスター福島というタイトルを獲っていたんです。嫌いな先生だったら、ボディビルの印象は悪くなっていたと思うんですが、おもしろくて、生徒に人気がある先生だったんですよ。だから、筋肉をつけることはかっこいい、というイメージはありました。
――高校では野球部に所属していたと伺っています。
鈴木 その当時に読んだ本で、ノーラン・ライアンの「ピッチャーズバイブル」というのがあるんですが、そこでウエイトトレーニングの重要性が説かれていたんです。その本の影響でトレーニングをするようになりました。ただ、それはあくまで野球の補強としてのトレーニングでした。
――競技のためのトレーニングだったのですね。
鈴木 ですが、プールの授業などで裸になったときに腹筋が割れていると、同級生たちから「すごいな!」と(笑)。そういう声が上がるところにおもしろさを感じてはいました。でも、ここまで長くウエイトトレーニングを続けることにはなるとは思ってはいなかったです。実際、野球を辞めると同時にトレーニングもやめてしまいました。すると60kgあった体重が、一気に50kgまで減ってしまいましました。
――現在の姿からは想像できません。
鈴木 私はもともと体は弱かったんです。スポーツテストでは満点以外を取ったことがないくらい、運動神経はよかったんです。でも、自分をリミットまで近づけるのは得意なんですが、そのリミットの値が低いんでしょうね。スポーツをやった翌日は、よく体調を崩していました。
物事を突き詰める性格でトレーニングと向き合う
――トレーニングを再開するようになったキッカケは?
鈴木 お気に入りの女の子が「細い人はイヤ」と言っていたこともあったのですが(苦笑)、ちょうど当時はK-1などが人気を博していた時期で、「第一次肉体改造ブーム」が起こっていたんです。トレーニングのおもしろいところは、やれば確実に体が変わっていくところです。私は練習というものは嫌いだったんですが、一人で一つのことに取り組むのは大好きなんです。男性のなかには、何か一つのことに凝る人が多いですよね。私の場合は、それがウエイトトレーニングだったんです。
――女性にモテるようになりたい、という気持ちは?
鈴木 最初はありました(苦笑)。でも、しだいに気持ちは変わっていきましたね。モテたいのは二の次、三の次。今は「鍛えてモテるようになりたい」という気持ちは、まったくありません。私は凝ったものを突き詰めていきたくなるタイプなんですよ。やるからには、腹をくくってとことんやってみようと。反対に、興味の範囲の外にあるものは、まったくやりません。
――やるか、やらないか。100点か、0点か。
鈴木 昔からそうでした(苦笑)。学校では英語、数学はあまり勉強したことがなく、いつも赤点でした。でも、日本史は全国模試で50位以内に入るくらい成績がよかったんです。典型的な文系でした。
――文系か理系かで言えば、ボディビルは理系の競技のように思えます。
鈴木 そうなんです。減量も、しっかりと計画を立て、計算しながら進めていかないといけません。でも、どこかに文系の要素もあるんです。たとえば「大会の1カ月前までに体重を〇kgまで落とす」という計画を立てても、絶対に計算通りにいかない局面が出てくるんです。そこで求められるのが、その人個人の感性です。逆に言えば、計算通りにいかないのがボディビルなんです。
――難しい競技ですね……。
鈴木 筋肉をつけて、ダイエットをする。行っていること自体は一般のトレーニーの方と同じです。そういったものを突き詰めていったものがボディビルです。トレーニングのいいところは、自分のレベルに合わせてできることです。まずは軽い重量から始めて、徐々に重さを上げていく。他人に合わせる必要がないんです。
優勝した理由を紐解いて、人に伝えて初めて得るものがある
――ボディビルは順位という形で勝敗が決まります。勝敗が決まるということは、そこには勝負論が存在します。鈴木選手は何と闘っているのでしょうか。
鈴木 自分自身です。どんな選手が出場してこようが、自分の100%の力を出し切ることができたら、勝っても負けてもいいと思っています。私は10年に日本選手権で初めて優勝しました。すると、翌年は合戸(孝二)さんが目の色を変えてきた。12年には田代(誠)さんが7年ぶりに大会に復帰した。そのときはプレッシャーを感じました。
――合戸選手と田代選手は、ともに全日本選手権で連覇を成し遂げている選手です。鈴木選手との対決はボディビルファンにとっては大きな見どころになりました。
鈴木 私はストレスになるほどプレッシャーを感じると、最終的に「もう、どうでもいいや」と思えるようになるんです。自分ができることをやりきれば、結果はどうでもいいと。そうやって吹っ切れて、しだいに気持ちが落ち着いていくんです。
――ちなみに、日本選手権で優勝すると賞金はいくらもらえるのですか。
鈴木 賞金はありません。私はボディビルにおいては「優勝して、ただで貰える、得られる」というのはないと思っています。なぜ優勝できたのか。その理由を紐解いて、セミナーなどで多くの人に伝え、また試行錯誤するなかで、初めて得られるものがあると思っています。だから、優勝すればするほど忙しく、また考えて行動しなければいけないのは当然です。優勝したあとに自分の行ってきたことを伝えていかないと、この業界は発展していかないと思っています。
(つづく)
聞き手/藤本かずまさ
1980年12月4日、福島県出身。身長167㎝、体重80~83kg。2004年にボディビルコンテストに初出場。翌05年、デビュー2年目にして「日本でもっともレベルの高いブロック大会」といわれる東京選手権大会で優勝。10年からは全日本選手権で優勝を重ね、16年に7連覇を達成。同年にはアーノルドクラシック・アマチュア選手権80kg級、世界選手権80kg級と二つの世界大会でも優勝を果たした。