不調でも抑えるために工夫をするのが真のエース
この言葉を田中の口から聞いたのは駒大苫小牧のエースとして夏連覇へ挑んできた3年時の甲子園だった。つまり、斎藤佑樹と決勝で投げ合った2006年の夏だ。どの試合の後だったか……。試合後、田中は記者とのやりとりの中でこの言葉を口にした。
「調子がいい時に抑えるのは当たり前だと思うんです。でも、調子が悪い時にいかに抑えるか。そこがその投手の評価だと思っています」
あの夏の田中の投球はまさにこの言葉を実践するものだった。斎藤との鮮やかな名勝負が多くの高校野球ファンの印象を作っているだろうが、あの夏の田中はもがいていた。特に甲子園では苦しんでいた。
「こんなに悪かったのは初めて」と試合後に言った南陽工業との初戦から準々決勝まで3試合24回2/3を投げ、被安打22、12四死球、30奪三振で9失点。三振こそ奪っていたものの、周囲が期待した姿にはまるで遠かった。ただ、勝ち越しや追加点を許し、多くの投手なら気持ちを切らしてしまっても不思議がないピンチの続いた場面で必ず踏ん張った。勝負を決める最後の一本を許さなかった。そんな苦しみながら耐えるエースの姿にナインが奮起し、厳しい試合をものにしての勝ち上がりだった。
そして、準決勝の智弁和歌山戦で2回からリリーフし8回を4安打、10奪三振、1失点。それまでの3試合とは別人の投球をみせ、感覚を取り戻し、迎えた早実との決勝でもあった。田中のメンタルの強さに心底感服しながら全試合をスタンドから観戦した夏を思い出すと、この言葉がセットになって頭に浮かんでくるのだった。
実は、ほぼ同様のニュアンスの言葉をその3年前、つまり中学3年の時に田中から聞いていた。兵庫県にある宝塚ボーイズで投手兼捕手としてプレーしていた当時、正確には2年から3年に上がる春だった。たまたまある取材で田中を取り上げることになり、彼にとって取材デビューとなったインタビューを行った時だ。当時から、無駄なことは口にせず、愛想笑いもしない。只者ではない雰囲気を漂わせていた中学生は確かにこう言ったのだ。
「調子がいい時は誰でも抑えられるので」「調子が悪い時にどれだけ抑えられるかが大事です」。
田中が世界の田中将大になった最たる理由に類まれな意識の高さがあったと思うが、土台を作ったのがこの中学時代だった。オリックス時代のイチローのバッティング投手を務めた奥村幸司監督は何をするにも意識、内面の大切さを徹底して説いた。「何も考えずにやる練習と意識を持ってやる練習では全く成果が違う」「中学生でもプロと同じ意識を持つことができる」「その積み重ねが先になると大きな差になる」「イチローはな……」。
奥村監督の言葉を毎日浴びるように耳にする中で田中は内面の大切さに目覚め、その意識が作られていったのだった。中でも中学2年からエース格となった田中の胸に響き、おそらく今も残り続けているのが奥村から授けられたこの言葉だった。
「調子がいい時に抑えるのは当たり前、悪い時にどれだけ抑えるかがその投手の評価や。将大わかるか?」
伝説の一戦も、メジャーへの道も、この言葉を胸に刻み、積み上げた先に生まれたものだったのだろう。
文/谷上史朗