私がトレーニングを始めたワケ(阿部美早)【マッチョ女子倶楽部①】




コンテストに挑む女性は何をキッカケにトレーニングを始め、どんな日常を送っているのか。そんな内容を阿部美早さんと高橋夏美さんに交互に綴ってもらう新連載。まずは阿部さんがトレーニングを始めたキッカケと、当時のトレーニングの印象を語ってくれます。

初めまして! 阿部美早です。
当コラムでは、私が「ボディフィットネス」という競技を通じて感じたことや得たことをお伝えしていきます。皆さまの日常や人生に、またフィットネスの世界に、少しでも興味や関心を持っていただけたら嬉しく思います。

トレーニングを始めたのは、2013年6月半ばのことでした。当時、私は悩み事を抱えていました。辛く苦しく、泣いてばかりの日々。そんな現実から逃げたいと考えてばかりいました。

そんな時にたまたま、女性のためのトレーニング&スポーツ専門誌『ウーマンズシェイプ&スポーツ』という1冊の雑誌に出合いました。その中で「健康美」「ボディフィットネス」という言葉が目に留まり、調べていくうちに日本ボディビル・フィットネス連盟のホームページにたどり着いたのです。

大会日程表をみると「ミス21健康美」という大会のエントリー期限まで日数に余裕があり、私は出場を決意しました。スポーツクラブに勤めていて、職場環境(マシンジム・日焼けマシンの利用)が活かせること、何かに集中して挑戦することで、抱えていた悩み事から解放されたいと思ったのです。大会は9月開催でしたから、実質約3カ月間で体作りに励みました。

学生時代は陸上競技に取り組んでいました。父親の影響でハードルを始めることになったのです。中学生時代、部活休みの日曜日の夕方、少し涼しくなった時間帯になると、父はきまって「おい! 練習に行くぞ!」と私を呼びます。当時はそれが嫌で嫌で……しょっちゅうベソをかきながら、スパイクとタオルと飲み物をナップサックに入れて出掛けていました。それでも中学3年の東北大会では3位入賞。今思えば、ベソをかく娘を引っ張り出し、指導してくれた父には感謝の気持ちしかありません。

その後、県高校総体を連覇し続けていた女子校に進学し、国体・インターハイに出場。当時の県記録を更新したことは、若さって素晴らしいと思える良き思い出です。ちなみに、国体で決勝に残れずサブグラウンドで悔し泣きする私を見た父は、その様子を母に伝えながら涙を流していたらしいです。のちに母がこっそり教えてくれました。

トレーニングを始める以前の筆者

国体での涙をきっかけに、我が家の和室には通販で購入したトレーニングマシンが! 何種目か鍛えることが出来るマシンで、レッグエクステンションとレッグカールをやっていた思い出があります。そのマシンは時を経て物置状態…親戚に譲ることになります。あの頃の自分に言ってやりたい!「そのマシン、大人になってから使いたいって思うときがまたやってくるぞ!」と。

さて、ミス21健康美大会に向けてトレーニングを始めるにあたり、はじめは1回のトレーニングで全身を鍛えていました。週3回ペースです。スミスマシンでベンチプレスとスクワット。そして時々、約20~30㎏のバーベルでローイング。基本的なトレーニング種目でしたね。

ミス21健康美大会に向けて調整中だったころの背中

しばらくして2分割のトレーニングに切り替えました。上半身と下半身です。内容は基本高回数低負荷。そして時々低回数高負荷、スロートレーニングを取り入れたものです。初めての本格的トレーニングは自分の性格に合っていると思いました。

負けず嫌いで自分1人の時間が好き。やればやった分だけ変化・進化を体感できる爽快感。なにより自分に費やす時間とエネルギーは悩み事や邪念から解き放たれて、最高でした。その感覚は、トレーニング初期の独特なものだと思います。

余談ですが、ヒーヒーハーハー言いながら取り組んでいた当時のトレーニングも、第三者の目には「ぬるい!」ものだったようです。あれから4年経った現在のお話は、またの機会に。これからどうぞよろしくお願いします。


あべ・みさき
1986年8月25日生まれ、岩手県出身。2013年6月よりトレーニングを始め、同年ミス21健康美163cm超級2位で大会デビュー。2014年にはオールジャパン選手権ミスボディフィットネス163㎝超級&オーバーオール優勝。2016年、同選手権163㎝超級優勝。 2017年、アジア選手権3位。