運慶は力士をモデルにした?
前回はウエイトトレーニングの起源について書きました。有名なエピソードとして残されているものは、古代オリンピックの闘技者である「クロトナのミロ」が仔牛を担いで歩くトレーニングでした。
今回は、ここ日本に視点を移してみましょう。日本には、いつ頃から筋肉やトレーニングに対する意識が根づいたのでしょうか。
この秋、朝日新聞社が開催する『運慶展』に付随して、インターネット上に「運慶學園」というファンサイトが開校されましたが、私はそこで天燈鬼・龍燈鬼の筋肉について解説を行ないました。
講義にあたり、まず像の筋肉の付き方を分析することからスタートしました。ご存知のように、天燈鬼や龍燈鬼の像は筋肉隆々ですが、知りたかったのは、それがリアルな筋肉の付き方なのかどうか。つまり、筋肉が発達したらそうなるだろうという想像で彫ったのか、それとも実在のモデルがいて、その体を参考にして彫ったのか、ということです。
彫刻を詳細に見てみると、腕には上腕二頭筋があり、上腕三頭筋があり、その上の肩の部分に正しく三角筋がついています。また、お尻を見ても大殿筋があり、その上に中殿筋があります。筋肉の形や付き方をしっかり知らなければ、ここまで正確な像は決して造れません。
ヨーロッパなどでは、彫刻は人体の構造を詳細に表現しなければいけないという考え方が伝統的にあったようで、芸術作品のための解剖図説なども古くから残されています。対して日本はそういう意識が薄かったようなので、なかには想像で造られた作品もあったかもしれませんが、少なくとも運慶の像は解剖学的にも正しい筋肉の付き方をしていることがわかりました。
ということは、やはり筋肉の形がはっきり浮き出ているモデルがいたと考えられます。その人物は、どういう鍛え方をしていたのでしょうか。
当時の状況をさまざまな専門家に確認しながら調べてみたところ、キーワードとして浮上してきたのが「相撲」でした。
相撲は、平安時代頃に大陸からやって来たと言われ、いわゆる神前――天皇の御前で儀式として行なわれていたという記録があります。運慶は鎌倉時代の芸術家なので、相撲が日本に定着してからそれなりに時間が経っており、力士のレベルや闘い方もかなり発展もしていたと思われます。
当時は、現在のような土俵がありませんでした。したがって、押し出しという決まり手はなく、勝つためには相手を投げ飛ばすか、ねじ伏せるといった方法しかありませんでした。形態としてはモンゴル相撲に近かったのではないかと言われています。
投げたり、ねじ伏せたり、あるいは相手の体をつかみ、引きつけ、持ち上げたり……そうした闘いを考えると、今よりもはるかに「力」に対する依存が強かったのではないかと想像できます。
そんな時代の最も強い力士が、おそらく運慶の像のような姿だったのではないかと思います。つまり、当時の大横綱のような人がモデルになっていたのではないでしょうか。
像の体つきは、現代のようなトレーニングでつくられた筋肉とは少し違います。ベンチプレスのようなトレーニング器具がないので(さほど必要とされなかったのかもしれません)、大胸筋などはそれほど肥大していません。そのかわり、前腕や三角筋、広背筋などが際立って発達しています。つかんだり、引きつけたりすることによって鍛えられたのだとすれば、その体つきにも合点がいきます。
下半身も中殿筋の発達が目立ちますが、これは足を上げてバランスをとる能力に関連してくる筋肉です。また、姿勢の維持や、じりじりと前進するために使われるふくらはぎのヒラメ筋も発達しています。これらも相撲とつながります。
時代を考えると米俵を担ぐといったトレーニングは行なわれていた可能性がありますが、基本的には相撲を数多く取ることで獲得された筋肉なのではないかと推測されます。人を何度も投げたり持ち上げたりしていれば、それは立派なウエイトトレーニングになるでしょう。
前回のギリシア彫刻もそうでしたが、こうした肉体が芸術作品のテーマになっているということは、日本でも鎌倉時代には筋肉に対する憧れが根づき始めていた可能性が高いと考えられます。
イラスト/此林ミサ
1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学・大学院教授。理学博士。東京大学スポーツ先端科学研究拠点長。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍中。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。
石井直方研究室HP
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