ドライカットの原点が路上でのカット
――路上でカットをしていたというのは、人目に触れることをやろうと思って?
川島 はい。クラブでヘアショーをやったりはしていたんですけど、もう路上でやっちゃえばいいかなと思って、背中にラジカセを背負ってやっていました。
――背中にラジカセというのはどうしてですか?
川島 すぐに逃げられるように(笑)。渋谷のハチ公前とか新宿東口の広場とかで切っていると、お巡りさんが来ちゃうんです。隣でギターを弾いて歌っている人はセーフなんですけど、僕はハサミを持っているので、銃刀法違反で連れていかれちゃうんです。だからすぐに逃げられるようにラジカセを背負ってました。一度、友達から発電機を借りてきてやったこともあるんです。でも、発電機は持って逃げられないんですよ(笑)。
――スリリングなことをしていますね(笑)。
川島 それでもだいたいの交番にはお世話になりましたね(笑)。始末書が3枚以上たまると前科がついちゃうんです。でも僕は6枚も7枚もたまっているのに前科はついてないんですよ。
――どういうことですか?
川島 お巡りさんと仲良くなったからです。だいたい交番の奥には畳の部屋があって、そこでお巡りさんの髪を切ってあげていたんです。通報があるからお巡りさんも来るんですけど、許されるようになっていました(笑)。よくテレビドラマとかで取り調べの時にかつ丼を目の前に置かれて、「オマエがやったのか?」みたいなシチュエーションがあるじゃないですか。あれとは違いますけど、交番で天丼を食べさせてもらったことがあります(笑)。
――それはすごい(笑)。路上でカットする時のモデルはどうしてたんですか?
川島 最初はその辺にいる人に声をかけてお願いしました。一人、二人と切り出すと、ものすごい人だかりになるんです。カットしてどんどん可愛くなっていくので、「あれはすごいぞ」ってなっていくんですよね。帽子を置いて切っていると、おひねりがドンドン入ってきましたね。でも人が集まるから警察が来てしまうんです。
――路上だと美容室とは装備が違うので難しさもありますよね?
川島 逆にいいんです。美容室だと髪が濡れた状態で切るじゃないですか。そうすると髪の毛が嘘をついた状態なんですよ。だから女性が美容室でカットしてもらって、家に帰って自分でセットするとうまくいかないということがよくあるんです。だけど、歩いている人は髪が乾いていますから。路上だと100パーセントの復元力が嘘なくできるんです。乾かしたらこうなるからねって。
――なるほど。川島さんの“彫刻カット”、ドライカットの原点は路上だったんですね。
川島 そうなんです。だんだんと路上カットが評判になっていって、「次はどこでやるんですか?」と聞かれるようになって、次はここでやるよって言った日はすごい人だかりになっていましたね。
――この路上カットを経て、自分のお店、URで切るようになったのはいつからですか?
川島 20年前の1998年です。URは自分で作ったお店ではなくて、もともとあったお店なんです。あまり経営状態がよくないお店だったので、立て直すというわけではないですけど、譲ってもらったんです。
――経営状態がよくないお店をどうやって立て直したんですか?
川島 「商売」を、商いをするというのではなくて、笑いを売る「笑売」という発想にしたんです。経営に関しても営みを継続することよりも、「創業」する。生業を創り出すという考え方ですね。とにかく笑っていればお客さんが遊びにくるだろうなという発想です。あえて看板もプライスも閉まっていて、口コミでしか広めないというところから始めたんです。
――集客アップには広告をバンバン打つというやり方もあると思いますが、あえて口コミで拡散していったのですね。
川島 ジムにしても美容室にしても遊びにくるという感覚が大事なんだと思います。ジムに行く時も体をいじめるのは嫌だなと思っていたらテンションは上がってこないじゃないですか。そこを振り切ると、体を動かさないと気持ち悪くなってくる。そこの境地にいかないといけない。そういう感覚ですよね。
1973年6月3日生まれ。ヘアメイクアーティスト。HairMake UR代表取締役。美容室の情報はこちらをチェック→http://ur-hairmake.com/
聞き手・佐久間一彦/撮影・山中順子