生きる伝説として世界にその名をとどろかせたヒクソン・グレイシー。総合格闘技が世界的ブームとなるきっかけは、間違いなくブラジル発のグレイシー柔術であり、それは日本の柔道、柔術を発展させたものだ。
ブラジルやアメリカでの公式試合、ストリートファイトで強豪を次々と撃破した後で来日。「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン」では2年連続優勝を達成(1994年、1995年)。その後、高田延彦、船木誠勝といったプロレス界のスーパースターにも完勝し、格闘ファンのみならず、様々なメディアを通して広く一般にも知られるようになった。
「400戦無敗」というのは日本で勝手につけられたキャッチフレーズだが、とにかくヒクソンが圧倒的な強さと存在感を示したことで、彼の言動は幅広い層に届いた。
たとえば、サーフィンとヨガを日課とし、グレイシー・ダイエットと呼ばれるナチュラル指向の食生活を実践するライフスタイルも注目された。また、哲学を感じさせる発言も「賢人の言葉」としてメディアに取り上げられた。
今回の名言に続いてこう言っている。
「練習や試合をしていると、プレッシャーや怒り、そして不安を感じる。そのような苦しい状態が続き、それを乗り越えるうちに、自分が安全でいられる範囲が分かるようになってくる」
一度つかんだその感覚は、ラッシュアワーの電車の中でも、家族や恋人との関係でも、仕事の場でも、つまりあらゆる場面で役に立つのだ、と。
上記のような考えは、日本の格闘家からはあまり聞いたことがない。多くの格闘家も非常事態に備える心構えを持っているだろう。しかし、ヒクソンのように、「自分が安全でいられる範囲」を意識しているか、というとそうではない。
もちろん、これは環境による違いも大きい。ヒクソンが青春時代を過ごした頃のブラジルは経済が落ち込み、治安が悪化していた。いかに最強の柔術家とはいえ、強盗目的で銃を持った者とは闘えない。危険を察知し、無謀な争いに巻き込まれない。これは心構えだけでなく、具体的に「どんな状態が安心・安全なのか」までしっかり意識してこそ、より確実性が増す。油断があれば、一瞬で安全ではなくなる。では油断とはどんな状態なのか? それは格闘技の日々の練習から、体で分かってくることだ。
そして、自分が巻き込まれるだけでなく、日常的な生活の中で自分が害を加える危険性をも認識している。カッとなって手を出すことはもちろん、他人に見下したり、誤解を与えたりすることが、恨みを抱かれてトラブルを生むこともあるので、それらを避けなくてはならない。ヒクソンは格闘技のトレーニングで心の揺れを見つめ、セルフコントロールすることの重要性を説いている。
彼が日本の武道や考えに大きな影響を受けているのは間違いない。武道精神がセルフコントロールを重視しているのも知っているが、だからといって無条件に武士道を礼賛することはない。サムライの勇敢さは讃えるが、主君のため、家のために自己を犠牲にする生き方は納得ができないという。あくまで自分の人生を生きなくては意味がない、と。
「私の考える『現代の戦士』とは、正しい行動を守り、求めるものを手に入れようとするが、それでも幸せになるという目標を忘れない男のことだ」
サムライの国に憧れの気持ちを抱いて来日してみると、ヒクソンは「日本人の弱さ」を感じたという。
「いくら厳しい規律を目にしても、そこにはなぜか強さがまったく感じられなかった」
「言い換えるなら、人々がシャボン玉の中で暮らしているような気がする、ということだ。尊敬の心が感じられても、それは他人の人生を邪魔したくないと怖がっているからだったり、他人の意見を聞きたくないからだったりする」
と、耳の痛い発言をしている。
自分の幸せを追求せず、どこか人任せだから、強さが生まれない。幸せになるためにはリスクに立ち向かわなければならない、そういう局面は少なくない。
ヒクソンは長男が突然亡くなったことでショックを受けて、現役を退いてしまった。しかし、それをきっかけに次男クロンは兄が志した道に歩むことを決意、総合格闘技デビューすることになった。
その時、ヒクソンはクロンに問うた。
「死の覚悟はできているか?」
自分が人生の主人公か? 幸せであろうとしているか?
それを常に自分に問い続けているからこそ、ここまでの言葉を子供にも伝えられるのかもしれない。ただゲームに勝てる、ただ強い、というだけの存在では人々の心に残らない。
ヒクソン・グレイシーのように、しっかりした哲学とビジョンがあってこそ伝説になれるのだろう。
参考文献
『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー・ダイヤモンド社)
同書・出版連動企画インタビュー(ダイヤモンド・オンライン)
文/押切伸一