「走ることをやめるときは仕事をやめるとき。生涯現役」(岡村)
「最初はトレーナーになったことで満足してしまっていた」(髙田)
岡村:髙田さんは身体の変化が内面にも影響を及ぼした経験ってありますか。
髙田:僕はやっていたバンドをやめてからウエイトレーニングを始めたんですけど、何回も入院するくらい健康状態が悪かったので、最初はトレーニングが逆効果かなとも思ったんです。医者に相談しても「無理でしょう」と言われましたし。でも、どうしても何か始めたかったので、医者に無理と言われてもやってみようと。まだパーソナルトレーナーが少なかった時代なので、自分で本を見て調べながらだったんですけどね。バンドをやっていたときは、才能がないんだなと反省ばかりしていた人生だったんですけど、トレーニングを始めてからは、目に見えて変わっていく自分にすごく自信を持つことができたんです。もともと腸に潰瘍があったんですけど、それもどんどん治っていって、自分は健康に対して言い訳をしていただけかもしれないと気づいたんです。
岡村:すごいですね。
髙田:車のお仕事の魅力ってどんなところでしょうか?
岡村:私の場合は正直、人生において失敗した感はあるんですけど(苦笑)。やっぱり車ってお金がかかるものなんですよね。うちは日産のシルビアを専門にしているのですが、カスタムしていくと何千万とかかるんですよ。稼いだお金がみんなそっちにいってしまうので、いつも貧乏してます(笑)。トレーニングも同じかもしれないですけど、麻薬のようなもので、やめられないんです。走ることをやめるときは仕事をやめるときかなと思うので、生涯現役という気持ちはあります。
髙田:僕はもしトレーニングを仕事にしていなかったら、おそらくもっとハマっていたと思います。会社員時代のほうが、よっぽどトレーニングの時間は取れました。いつかまた趣味に戻したいなとは思っているんですけど、今は仕事としてやっているので、責任を持ってやっていかなければいけないと思っています。まわりの方は「好きなことが仕事になっていいですね」と言ってくれます。もちろんいいことばかりではないですし、ひょっとすると別の仕事をしながらのほうが、いい趣味としてずっとできたのではないかと思ったりすることはありますね。
岡本:髙田さんがパーソナルトレーナーを始められた頃は、パーソナルにお金をかける人は一握りだったんじゃないですか?
髙田:そうですね。その頃はパーソナルトレーナーで生計を立てられる人は、日本に数名しかいなかったんです。しかも、僕は20代後半でその道を志したので、まわりからは心配されましたし、反対もされました。でも、絶対にやりがいのある仕事だと思っていましたし、正直いけるだろうという考えはあったんです。ところが、いざなってみたら3カ月間、全然お客さんがつかなかったんですよ。これはまずいぞと。考えてみたら、結局はトレーナーになることが到達点になっていたことに気づいたんです。本来はそこからがスタートなのに。
岡村:トレーナーになれたこと自体に満足してしまったんですね。
髙田:そうなんですよね。そこからは、どうしたら自分はトレーナーで生活ができるんだろうと必死で考えるようになりました。当時、トレーナーで生計を立てていた先輩方というと、雑誌の表紙になっていたり、世界大会で優勝していたりと、ずば抜けた人たちばかりだったんです。じゃあ自分のいいところは何だろうと考えたら、健康にも恵まれず、素人以下の身体だった過去があるので、何らかのスポーツ経験者の他のトレーナーの人たちよりもみんなの気持ちに共感できるという部分でした。少しずつ考え方を変えていったら、お客さんが増えていったんです。
取材&構成・編集部/撮影・山中順子
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP
1958年1月1日、埼玉県出身。チューナーであり、SUPER GT 300クラスや全日本プロドリフト選手権(D1)にも参戦するレーサーでもある。生粋のシルビアマニアとしても有名。
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