全力を出し切った陸上部時代
「何に対してもリミットがないんです」
――まずはトレーナーを志す前のお話をお聞きしたいのですが、学生時代は陸上競技の選手で、400メールハードル(以下400H)を専門にしていたのですよね。このきつい種目を選んだ理由を教えてください。
岡部:小学校で陸上を始めた時は100メートルをやっていました。私はスタートが遅くて、後半の50メートルでみんなを抜かすみたいな挽回型だったんです。
――ウサイン・ボルトみたいですね。
岡部:とにかくスタートが悪くて、みんなが出るのを見てからスタートしてるんじゃないの?というくらい遅いんです(笑)。最初のうちはそれでも挽回できたんですけど、みんなの技術が上がってくると、巻き返しの50メートルだけでは追いつけなくなりました。だから100メートルよりも200メートルのほうが得意でしたね。
――持久力はあるほうだったのですね。
岡部:3歳の時から水泳をやっていて、小学校4年生で陸に上がるまでずっとプールの中にいたので、持久力はありました。持久力があって、スタートが悪かったので、中学の時は100よりも200のほうが良かったし、高校に入ると400メートルもあるので、200と400をやるようになりました。
――2種目やっていたのですね。
岡部:陸上の場合はだいたいみんな2種目やっていますね。100と200とか、200と400とか、どちらかが得意というのはあっても絶対に2種目持つんです。高校に入って最初は200と400だったのですが、身長があるのでハードルも大丈夫じゃないかということをコーチに言われて、400と400Hをやるようになったんです。400Hになると競技人口もグッと減るので、そうすると上に行きやすいというのも理由の一つですね。
――陸上競技の中でも400はもっともきつい種目とも言われています。最後は根性勝負みたいな部分もあるのではないですか?
岡部:そうですね。だから400Hの最後は後輩の2人が待ち構えていて、ゴールしたら2人に抱えられながらレーンを出るって感じでした。
――それくらい出し切っていたのですね。
岡部:次のことはあまり考えてないので。その後に歩くことも考えてなくて、本当にバタッと倒れてしまうくらい、全部出し切っちゃうんですよね。
――元々の性格的に頑張りきらないと気が済まないタイプですか?
岡部:何に対してもあまりリミットがないんです。だからすごくケガも多かったし、危ないこと、ギリギリのことが好きなんです(笑)。その時、その時で全部出し切る感じだったので、コーチにもよく怒られていました。
――それはどういうことですか?
岡部:陸上は予選と決勝があるんですよね。だから「予選で全部出し切るな」って、怒られていました。
――なるほど。予選だとゴール前で流すのが普通ですよね。
岡部:普通はそうなんですけど、私は全部出し切りたいので。
――高校卒業後にアメリカに行くことになりますが、これは陸上競技との関係は?
岡部:陸上とはまったく関係ないです。インターハイまで続く最後の関東大会の400Hで、7台目で引っ掛けてしまってボロボロになったんです。最後は血だらけでゴールしてインターハイには行けませんでした。みんなが受験勉強をしているなか、自分は2年生と一緒に陸上をやっていて、「友ちゃん、大丈夫?」って周りから心配されるくらい練習をやっていました。それだけ出し切ってこの結果なら、違う道を目指したほうがいいなって思ったんです。諦めたというのではなく、競技者として限界感じたのと、同じ競技でもっと上に行く人のサポート側に周りたいと思った。前に出てる感じしますが(笑)、もともと黒子気質だと思います。
撮影・保高幸子 取材・佐久間一彦
1985年12月6日、横浜市生まれ。株式会社ヴィーナスジャパン代表取締役。高校卒業後、アメリカで運動生理学、解剖学を学び、フロリダ大学在学中に、プロアスリートに指導できるスポーツトレーナーが保持するNSCA‐CSCSの資格を取得。帰国後、女性専用パーソナルトレーナーを経て、2016年3月、女性専用のフリーウェイトジム「Spice up Fitness」を東京・南青山にオープン。2017年9月には原宿に2店舗目をオープンした。“美尻のカリスマ”として女性を中心に絶大な支持を集める。