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夏の思い出。“した気分減量法”【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第28回】




VITUP!読者の皆様、こんにちは。まずは台風、そして地震で被害に遭われた皆様に、心からお見舞い申し上げます。

夏といえば海。夏といえばプール。夏といえば花火。夏といえばスイカ。夏といえばカキ氷。夏といえばTUBE。夏といえば稲川淳二。……夏の話を書かないうちに9月になっていました。暦の上では秋ですが、まだまだ暑い日が続いているということで、今回は夏の思い出について書きたいと思います。

©tamayura39 – stock.adobe.com

学生時代の夏の思い出といえば減量です。暑い時期は体重が落ちやすい一方で、体が火照って寝苦しかったり、喉が渇いて冷たいビールが恋しかったりと、個人的には一番減量がきつい季節でした。

高校3年の夏、多くの学生が受験勉強に励むなか、レスリング選手だった私は優勝候補として第二シードでインターハイに臨みました。このときのレギュレーションは毎日計量。まずは試合前日に計量をして翌日の試合(1~3回戦)に臨み、勝ち上がると再び計量。これをクリアしないと準々決勝以降の試合へは進めません。このルールで難しいのは、初日の試合時に何㎏までの増量をヨシとするかということ。試合後の計量のことを考えるとあまり増やしたくはありません。しかし、食事をセーブして体力が回復せずに負けてしまったら、元も子もない。このさじ加減がとても難しいのです。

試合当日、本来ならばこまめに体重をチェックするべきなのですが、私は体重計には一度も乗りませんでした。明らかに増えすぎているのがわかっていたからです。数字を見てしまうと、計量が気になって試合に悪影響が出ると思い、敢えて自分の体重を知らないようにして闘いました。試合は順当に3回戦を突破して準々決勝進出。翌日への勝ち上がりを決めたところで、初めて体重計に乗ると、予感はあったとはいえ愕然としました。3.5kgもオーバーしていたのです。

計量の制限時間は試合終了から3時間以内だったと記憶しています。とても3.5kgも落とすのは無理。先生からもリタイヤを勧められるかと思っていたのですが、「とりあえず着込んで1時間走ってこい」と悪魔の指令が待っていました。

真夏の蒸し暑いなかサウナスーツを着込んで1時間走り、再び体重計に乗ると1.2~1.3kgオーバーまで落ちていました。もしも残り1kgを切っていたらゴールが見えてやる気が出るのですが、この数字は微妙。そこから再びサウナスーツを着込んで1時間のスパーリング。制限時間ギリギリで全裸計量の末にリミットまで落とすことに成功しました。

ヘロヘロになりながら全裸で体重計に乗る。必死の思いで計量をクリアしたのに、精根尽きて翌日あっさり負ける。これが私の夏の思い出です。

しかし、夏の思い出はこれで終わりではありません。この夏、私は自分流の減量法を開発しました。それが“した気分減量法”です。

減量の一番の敵は空腹と渇き。それを紛らわすために食べ物や飲み物が特集された雑誌を眺めて、食べた気分、飲んだ気分になって我慢するという、人によっては拷問のような減量法です。余計にお腹が減るのでは?と思うかもしれませんが、「ラーメン特集」「カレー特集」「スイーツ特集」などの誌面を眺めながら、「減量が終わったらこれを食べよう」と思うことで、空腹や渇きを乗り越えていました。

実は減量時に雑誌を見ていたこの経験が、のちに雑誌編集者を志すきっかけの一つでした。減量中の私にとって雑誌は、ワンコインで買えるひと時の幸せでした。誌面を眺めるだけで乾いた心と体を癒してくれるのが雑誌。そんな誰もが手に入れることができる、ワンコインで買える幸せを自分も作りたい。そう思ったことが、出版社への就職を目指すきっかけだったのです。

さて、今回は私のしょうもない減量話をお伝えしましたが、バルセロナオリンピック・レスリング・グレコローマン46kg級日本代表で、現ALSOKレスリング部監督の大橋正教さんに減量についての取材を行ないました。こちらの模様は近日公開です。ちゃんとした減量のお話をお楽しみに!

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。