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【石森太二の「TAIJI THE WORLD」第3回】学ぶことが多かったボディビル体験




プロレス界でも屈指の筋肉美を誇る石森太二選手の連載コーナー『TAIJI THE WORLD』。今回は2009年にボディビルの大会に出場したときのエピソード。現役プロレスラーとしてボディビルの大会に出るにはどのような苦労があったのだろうか?

山本式トレーニングでボディビルへ
ポージング、減量も貴重な経験

前回のコラムのラストで予告した通り、今回はボディビルの大会に出場したときの話です。2009年7月26日、「セントラル・ジャパン・ボディビルディング・チャンピオンシップス」という横田基地で行なわれた大会に出場し、ライト級で準優勝という結果を残しました。

ボディビル出場時

プロレスラーとして試合をしながらボディビルの大会に出るというのは、決して簡単なことではありません。それでも出場することになった背景には、トレーニングを指導してくれていた山本義徳さんの存在があります。カウンセリングを受けるたびに「石森くんなら出たら優勝できる可能性はあるよ」と言われてその気になってしまったというわけです。

大会に出場することを決めてからは、山本さんの指導にすべて従ってトレーニングを積みました。練習法で印象に残っているのは、とにかく追い込み方が半端ではないということ。わざと筋疲労を残すようなやり方をするため、どの種目も回数が多かったり、あるいはコンパウンドセットで追い込んだりしていました。

普通のトレーニングでは、一つの筋肉に対して一つの種目をインターバルをはさみながら数セット行なっていきます。一方、コンパウンドセットは、一つの筋肉に対して二つの種目を、インターバルをはさまずに連続で行なうトレーニング法です。たとえば足の場合ならレッグエクステンションの後に、続けてシシースクワットをやってさらに追い込むという感じです。同じ部位を連続して鍛えつつ、山本さんのやり方だと重量を落とさないので、とにかくきつかったことを覚えています。

実はもともとは足のトレーニングはあまり好きではありませんでした。追い込んでしまうと試合で動けなくなるのが嫌で、なおかつデビュー当時はロングタイツをはいていたため、足の筋肉はお客さんに見えない。そんなこともあって、昔はあまり鍛えていませんでした。本格的に足のトレーニングをするようになったのも、このボディビル大会出場がきっかけでした。

ボディビルはポージングもとても大事です。筋肉を出すポーズを見たことはあると思いますが、実際にやってみるとメチャクチャきついものです。筋肉の出し方や見せ方も山本さんに指導してもらいました。筋肉肥大させて、その状態をキープしたままポーズ。息を止めたり吐いたりというのが続くため、ちょっとした有酸素運動なんです。左右対称で一番良い筋肉の張り方をさせる。見ている分には簡単そうでしたが、実際にやってみるとすごく難しいものでした。

練習を積んだ見事なポージング

もう一つ大変だったのは減量です。もともと体が小さかったため、プロレスラーになってからは大きくなることばかり考えて食事もトレーニングもしていましたが、ボディビルの大会に出るにあたって74~75㎏あった体重を、最終的に67㎏まで落としました。体重が減るとプロレスの試合では体重差が大きくなり、きつい部分も多々ありました。試合をこなしながらの減量はかなり厳しいものでした。

冒頭にも書いたように結果はライト級で準優勝。トレーニングも減量もポージングもすごく大きな経験になりました。しかし、プロレスとボディビルの二刀流というのは、並大抵ではないということがよくわかりました。「また出たら?」と言われることもありますが、さすがに現役の間は大会に出ることはないと思います。

石森太二(いしもり・たいじ)
1983年2月10日、宮城県出身。闘龍門に入門し、2002年5月11日、メキシコ・アレナ・コリセオでの橋本史之戦でデビュー。2006年からNOAHに参戦し、GHCジュニアヘビー級王座最多防衛記録となる10度の防衛を記録。2018年にNOAHを退団し、現在は新日本プロレスを主戦場として、ジュニアヘビー級戦線で活躍している。プロレス界でも屈指の筋肉美の持ち主。