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「貝の筋肉」が教えてくれたこと①【石井直方のVIVA筋肉! 第27回】




“筋肉博士”石井直方先生が、最新情報と経験に基づいて筋肉とトレーニングの素晴らしさを発信する連載。今回は少し難しい内容ですが、貝を食べながら自慢できる最先端の知識が身につきますよ!

©HLPhoto‐stock.adobe.com

貝が殻を閉じる力は2種類の神経でコントロールされている

今回は、私自身がいま興味を持っていることについて書いてみたいと思います。

話は「貝の筋肉」からはじまります。
人間の筋肉とは関係なさそうに思うかもしれません。

しかし最近、これが研究の分野でつながってきています。まだ一般にはまったく知られていない情報だと思いますが、筋肉研究の歴史としても非常に面白い話題です。

キーワードは「キャッチ」というメカニズム。
これまでなかったディープな内容になりますが、お付き合いください。

もともとは私も貝の筋肉の研究からこの道に入りました。1977年、東京大学大学院に進学し、「ムール貝」という俗称で知られる「ムラサキイガイ」の筋肉の力学的性質を調べはじめたのが最初でした。

その後、イギリスのオックスフォード大学へ留学して行なった研究成果が『サイエンス』という世界的に権威のある学会誌に掲載される栄誉にも恵まれましたが、これも貝の筋肉の研究がテーマだったので貝に対してはいまも愛着があります。

19世紀の後半、「貝柱は不思議だ」と言う生理学者が出てきました。最初に言い出したのはパブロフというロシアの研究者のようです。
彼はカキを手でこじ開けようとしてもなかなか開かないことに目をつけ、その強さがどのように生み出されているのかを考えました。

そこで殻の半分を固定し、片方に重りをぶら下げ、何時間耐えられるか実験をしたところ、丸1日たっても開かなかったそうです。その力を生み出している「筋肉」が貝柱をつくっている「閉殻筋」なのですが(アサリやシジミなどの味噌汁をつくると貝が開くのは、その筋肉が死んでしまったからです)、パブロフと後続の研究者たちは、貝柱の筋肉の中にラチェット(一度ギュッと収縮させると鍵がかかったような状態となり、それ以上は動かなくなる装置)のような仕組みが入っているに違いないと考えました。

一度強く収縮したら、あとは自ら力を出さなくても自然に筋肉にロックがかかったような状態になり、大きな力が加わっても引き伸ばされない。そういう状況はエネルギーを使わずに済むので筋肉にとってはエネルギー的に好都合です。

その後、様々な研究者によって確かめられたその現象は、「キャッチメカニズム」「キャッチ収縮」と呼ばれるようになりました。

貝の筋肉は平滑筋(骨格筋と異なり横紋を持たず、核を1つしか持たない小さな細胞からなる)で、その筋肉は2種類の神経に支配されています。
1つは収縮を起こさせる神経で、これがアセチルコリンという神経伝達物質を神経終末から放出して筋肉を活動させると、キャッチ収縮が起こります。そして、もう1つがキャッチ収縮を弛緩させてロック状態を解く神経。これはセロトニンという物質を神経伝達物質として用います。

この2つの神経によって、貝は殻を開きたくない時にはキャッチ収縮によって省エネ状態で力を維持することができ、開きたい時にはいつでも自在にロックを外すことができるようになっているわけです。

ムール貝は船底にくっついて世界中に広まったと言われていますが、これが船の燃費を悪くするなど航海の邪魔になると問題視されてきた歴史があります。
じつは船底などには「足糸」という紐のような構造でくっつくのですが、この足糸を引っ張っている筋肉である「足糸牽引筋」という筋肉もキャッチ収縮を行ないます。ムール貝が世界中に広まったこともあり、この筋肉はキャッチ収縮を調べるための格好の材料となってきました。

本当にエネルギーを使っていないかどうかは、私が1980年代に確かめました。「核磁気共鳴スペクトル解析」という当時としては先端的な手法を使い、収縮中にどのくらいATP(アデノシン三リン酸)が分解されるかを生きた筋肉で測定しました。
ATPは「エネルギーの通貨」として働く物質で、これが分解された時に放出されるエネルギーを使って細胞は活動します。実験の結果、キャッチまでの間はATPが分解されますが、キャッチを起こしてしまうと、収縮力は維持されるのにATPは分解されないことがわかりました。

私は途中から研究テーマを人間の筋肉に変えましたが、その後も日本では東大農学部(当時)の渡部終五先生の研究室などが中心となってキャッチ収縮の研究が進められました。そして渡部先生はアメリカのハートションという生化学者との共同研究によって、2010年くらいまでの間にキャッチ収縮のメカニズムをほぼ完全に解明することに成功したのです。

次回、キャッチ収縮の研究がヒトの筋肉にどうつながっていくのかを説明します。

石井直方(いしい・なおかた)
1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学・大学院教授。理学博士。東京大学スポーツ先端科学研究拠点長。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍中。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。
石井直方研究室HP