今年も6月13日がやってくる――三沢光晴さんから教わったこと【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第67回】




VITUP!読者の皆様、こんにちは。日曜日のひととき、いかがお過ごしでしょうか?

10年前のあの日以来、毎年6月が来ると胸が苦しくなります。あの日とは、2009年6月13日のこと。プロレスラーの三沢光晴選手がリング上の事故で命を落とした日です。三沢さんのこと、事故のことなどは七回忌のときに制作した『2009年6月13日からの三沢光晴』(著・長谷川晶一/主婦の友社)という本に記されているので割愛しますが、あれから10年となる今、改めて三沢さんとの思い出を書いてみたいと思います。

まず、プロレスをまったく知らない読者の方のために簡単に略歴を説明しておくと、三沢光晴さんはジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスで81年にデビュー。メキシコ遠征を経て2代目タイガーマスクに変身。その後、90年にマスクを脱いで素顔の三沢光晴に戻ると、ジャンボ鶴田、スタン・ハンセンら大型トップ選手との闘いで飛躍し、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)とともに、全日本プロレス四天王と呼ばれ、プロレスの常識をぶち破るような激闘を繰り広げてきました。“四天王プロレス”と称されたその闘いぶりは、後進のレスラーやファンにも多大なる影響を与えたと言っていいでしょう。2000年にNOAH旗揚げ後は、馬場、猪木の後のプロレス界の象徴として君臨し、多くのレスラーから尊敬され、ファンから愛された稀代の名レスラーでした。

かなりザックリと説明させていただきましたが、さらに簡単に言うと、プロレス界のトップレスラーだったということです。トップ中のトップでありながら、三沢さんは決して偉そうにする人ではありませんでした。人によって態度を変えない。誰にでも優しい。初めて取材で接したときからその人柄に惹かれました。私は現在、スポーツジャーナリストとして、多種多様なジャンル、選手を取材しています。三沢さんの取材を通じて学んだことが、こうした取材をする上ですごく生きています。

『週刊プロレス』に配属されたとき、私は23歳の新人でした。全日本プロレスの取材に行き、三沢さんのコメントをとる機会も数多くありましたが、その際、いつも言われていた言葉があります。「真面目だなぁ」「質問が硬いよ」……緊張しながら質問を投げかける私に、三沢さんはニヤリと笑いながら言いました。こちらは取材に不慣れな新人で、相手は子供の頃からテレビで見ていたトップスター。当然、緊張はするし、一生懸命になればなるほど、余計に硬くなっていたのだと思います。

それから少しの時を経て、巡業中に初めてお酒の席でご一緒させてもらう機会がありました。楽しいお酒だったこともあり、その日はリラックスして話をしていると、三沢さんは私にこう言いました。「聞き手が緊張して質問するとこっちも構えちゃうからさ。取材のときもそんな感じでいいんだよ」。さらりとしたアドバイスが身に沁みたことを鮮明に覚えています。

この時の教訓が今はすごく役に立っています。前述したように現在は、様々なジャンルのトップアスリートから芸能人や文化人まで、幅広く取材する機会も増えましたが、三沢さんから教わったように緊張したり構えたりすることなく、リラックスして話をすると、相手もたくさん話してくれます。「真面目だな」とか「硬いな」と言われることもありません。新人の頃に三沢さんと接することができた経験が自分の財産となっているのです。

三沢さんから教わったことは取材の仕方だけではありません。生きていく上での考え方も大きな影響を受けています。

溢れるほどの優しさを持つ三沢さんは、同時にとてつもない強さを持った人でした。「弱音を吐いても何も変わらないから弱音は吐ない」という言葉の通り、人に弱さを見せることを嫌い、肩を脱臼しても、鼻が折れても、眼窩底骨折しても、リングに上がり闘い続けていました。“四天王プロレス”は命を削るような闘いの連続でした。そして次の試合ではファンがそれ以上の闘いを期待し、選手たちはそれに応える。肉体的にも精神的にもきつい闘いを乗り越える秘訣は何なのか? この問いに対する三沢さんの言葉は、今も私の支えになっています。

「試合はどんなに長くてもたった1時間だから。辛いとかきついっていうのは当然あるけど、1時間頑張ればいいだけだからね。試合に限らず長い人生で考えたら辛い時間なんて一瞬なんだよ。そう考えれば別に大したことではないよね。ここでやめたら楽になるかなって思うこともあるよ。だけど“オマエはそれでいいのか?”って自分に問いかけたときにどう思うかだよね。何のために頑張るのかって言ったら、自分が自分に納得したいだけなんだよ」

辛いことがあっても長い人生で考えたら一瞬。だから大変なことがあっても一瞬だけ耐えればいいと考えて我慢します。
あきらめそうになったときには自分に“それでいいのか?”と問いかける。人は弱い生き物なので楽な道に行きたくなります。そんなときは少しだけ自分にエールを送って踏みとどまるようにしています。
迷ったら自分自身が納得できる選択をする。大事な決断をするとき、誰かのせいにしたくないので自分の進むべき道は自分で決めます。

三沢さんから教えてもらった考え方は自分の中に息づいています。そしてそれは大きな力になっています。

本日6月9日、NOAH後楽園ホール大会(&6月13日の大阪大会)は三沢さんの追悼大会。今年も三沢さんに会いに行ってきます。

 

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。