選手と企業にWin-Winをもたらす「アスナビ」~後編【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第70回】




VITUP!読者の皆様、こんにちは。日曜日のひととき、いかがお過ごしでしょうか? 前回に引き続き、アスナビについての話を書いていきます。

アスナビを利用する選手側のメリットは、生活環境を安定させながら競技を続行できること。採用してくれた企業の社員となるため仕事をするのは当然のことですが、競技活動に支障がないように配慮してもらえ、合宿や遠征による長期休暇も可能な場合がほとんどです(企業と選手の話し合いにより決定)。また、遠征や用具などの費用の心配をする必要もなくなり、思い切って競技に専念することができます。

このようにアスリート側のメリットは理解しやすいと思います。では、企業側にはどんなメリットがあるのでしょうか? アスリートを社員として採用しても、現役中は競技優先になるため、仕事面では大きな戦力にはなりません。それでもアスナビを利用するのは、ここでしか得られないメリットがあるからなのです。一つのエピソードを紹介しましょう。

パラ・パワーリフティングの西崎哲男選手は、2014年にアスナビを利用してディスプレイ・空間デザイン会社の乃村工藝社に入社。元々は大阪で公務員として勤務していましたが、東京2020パラリンピック出場を見据えて、より競技に専念できる環境を求めてこの選択をしました。西崎選手は陸上競技を引退後、パワーリフティングに転身してまだ1年だったこともあり、当初の目標は2016年のリオ大会ではなく、あくまでも2020年東京大会。ところがアスナビでの転職を機に飛躍的に成績を伸ばし、競技開始からわずか3年でパラリンピック出場という夢を叶えたのです。

企業、選手、双方の力が合わさったことにより、この夢は実現されました。しかし、道のりは平坦だったわけではありません。アスリートを受け入れるのが初めてだった企業側は、当初、金銭面以外でどのようにサポートすればいいのか、明確なビジョンは持ち合わせていませんでした。そもそも西崎選手が入社したこと、パラリンピックを目指していることが社員に伝わっておらず、入社後初めての大会のときに応援に来た社員は片手で足りるほどだったと言います。

そこから企業は選手へのヒアリングを開始し、お互いに理解を深め合うようにコミュニケーションを強化。社内に専用の練習場をつくり、大会で使用されるものと同じベンチ台やシャフトを用意するなど環境を整えていきました。それと同時に社内広報により、西崎選手のことをみんなに知ってもらい、会社全体で応援していくというムードをつくり上げました。実際、西崎選手の応援を通じて部門間のコミュニケーションが強化されて社内の一体感が高まり、オリンピックを目指す同僚に刺激を受けて社員一人ひとりの意識にもポジティブな変化があったそうです。そして大会のときには、100名を超える社員が応援に集まるようになっていきました。

応援はアスリートの大きな力となる

企業側が最高の環境を整え、選手がそれに応える。西崎選手は2016年のパラ・パワーリフティングジャパンカップで日本記録を樹立し、全日本選手権でも優勝。当初思い描いて目標よりも4年早く、パラリンピックへの道を切り開いたのでした。社員一丸となっての応援の力を西崎選手はこのように語っています。

「今までは応援してくれるのは家族、せいぜい友達ぐらいだったのですが、会社の人たちがみんなで応援してくれているのをすごく感じることができました。車いすになってから、自分は泣かないと決めたんですけど、たくさんの方が激励のために集まってくれた壮行会のときには泣いてしまいました」

多くのアスリートは「応援は力になる」と口にしています。それはファンへのリップサービスではなく、本当に大きなエネルギーとなるものなのです。自分のためだけでは頑張れないことも、応援してくれるたくさんの人たちのためと思えば、もっと大きな力が出る。西崎選手は自らの記録で、応援の力を証明してみせました。

こうした企業と選手の素敵な関係がアスナビよって生まれています。単なるスポンサーではなく、会社の仲間としてアスリートを迎え入れて応援する。仲間の期待に応えるために競技を頑張る。まさに選手と企業にWin-Winの関係を生むのです。すごく有意義な試みでありながら、まだまだ知らない人も多いので、これを機会にぜひアスナビを知ってほしいと思うしだいです。そしていつか我々もアスリートをサポートできたらいいなと思っています。

 

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。