7月13日(土)、東京大学駒場キャンパスで「第27回 身体運動科学シンポジウム」が開催された。令和初となる今回のシンポジウムのテーマは、「骨格筋」。原点を振り返りつつ、各演者が最新の研究成果を紹介した。
1993年からスタートしたシンポジウムは、今回で27回目。広く告知したためか来場者が多く、臨時席を後方に設けることとなった。トップバッターで登壇したのは、筋肉研究の第一人者の石井直方教授。「私はそろそろ賞味期限が迫っておりまして、その消費が終わる前にこうした機会を設けていただきました」と軽快なジョークで幕を開けた。
「今回は、なぜ筋肉を鍛えることになったのか、そしてこれまでの成果の一部をまとめた話(筋肥大のメカニズム)、最後に未来へ向けての課題の3つを話していきます」
石井教授の説明に合わせて、スクリーンにはボディビルで活躍した当時の肉体美が映し出された(1986年、世界選手権)。
「当時(1986年)は、筋肉を太く強くすることは重要ではないという時代でした。たまたま私は筋肉の研究をしていたため、もっと大きな筋肉を作るためにはどうしたらいいのかと思い続けていました。そして、いつか筋肉そのものが社会的に価値のあるものになるだろうと信じて疑いませんでした」
大きな潮目を迎えたのは、1990年。これまでアメリカでは、高齢者にウォーキングやエアロビクスなどの軽い運動が推奨されていたが、研究が進んでくると「健康を維持するためには筋トレが必要である」という風潮に変わっていった。「それから研究が進み、30年後の現在ですが、WHOが推奨している健康づくりの戦略として、『筋力強化を週に2日以上、続けてください』と言われるようになるわけです。そして健康を考える上で、筋肉が重要な役割を果たしていることを研究の面で示す必要が出てきました。こうして30年の間、骨格筋の地位が向上してきたのは、健康に関連したはたらきが啓蒙されてきたからです」と石井教授は、感慨深く振り返る。
健康に関連した骨格筋の地位が向上した理由を、石井教授は三つ挙げる。一つ目は、あらゆる運動のための運動器として、二つ目はストーブのように体温を保つ熱源として、三つ目は内分泌器官としての役割が広く認知されるようになってきたこと。以上の三つが骨格筋の地位向上の軸になっている。
運動器としてのはたらきについては、加齢に伴う筋委縮・筋力低下(サルコペニア)の研究が進んでいる。とくに足腰の筋力は、80歳くらいまでに半分近く低下してしまうことを石井教授は指摘した。高齢者に起こる転倒の最大の危険因子は、筋力低下によるものが多いと発表されている。
熱源としての役割は、2012年にサルコリピンというタンパク質のはたらきが判明したことにより、エビデンスが立証された。サルコリピンのはたらきについては、石井教授からバトンを受けた中里浩一先生も筋萎縮との関連について詳しく解説してくれることになるが、「熱源として機能するサルコリピンが作れなくなると、冷え性や肥満になり、糖尿病を引き起こすリスクが高くなります」と石井教授が警鐘を鳴らす。
内分泌器官については、筋トレをして筋肥大することによりインターロイキン-6という物質が分泌され、抗酸化作用、脂肪分解、グリコーゲン分解、抗炎症作用などがはたらくことが分かった。従来は、脳からの運動指令と同時に交感神経が活性化されてアドレナリンが分泌、脂肪が分解、脂肪酸を供給、そして筋運動へとつながっていたが、「筋肉と脂肪が直接交渉していることも判明してきた。それにより部分的に痩せる可能性を示しているばかりか、骨格筋が臓器間のネットワークで重要な役割を果たしていることが分かってきた」と石井教授は指摘する。
また骨格筋肥大のメカニズムは細胞レベルでの研究が進み、この分野は小笠原理紀先生がマラソンのような持久性運動の低強度長時間運動、高強度短時間運動による筋肥大のプロトコルと効果の関係性についてシンポジウム内で詳しく説明した。石井教授は、「筋トレで肥大するのは速筋線維です。タンパク質の合成・分解が速筋線維の中で起こっています」と説明した上で、小笠原先生が提出したマウス(ネズミ)を使った筋トレの動物実験のレポートを次のように発表した。
筋トレをすると、mTORシグナル伝達系からリボソームという物質が活性化し、タンパク質の合成が促進される。これが筋肥大につながるメカニズムだが、回数を増やすとリボソームの活性化が顕著となる。これだけ見ると、回数を増やせば筋肥大を促進するように感じるが、実際に筋タンパク質合成の数値を測定すると、一定の回数で頭打ちになることが分かった。指令は出ているが、筋トレをやり過ぎても生産工場が少ないため、一定の効果しか望めないことが判明した。さらに手術による代償性肥大の研究やリボソーム生合成についても報告があった。
上記はマウスによる研究報告だが、人間の筋トレに話題が移行し、スロートレーニングが紹介された。周知のように、ゆっくりとした動作をすることで、あまり強い負荷をかけなくても筋肉が強く太くなるのが、このスロートレーニングだ。この研究は佐々木一茂先生が専門で進めているため、他の先生と同じようにシンポジウム内にて報告された。石井教授は、研究院生のレポートを例に出して、高齢者が30%くらいの無理のない負荷でスロートレーニングをした場合、通常の低負荷トレーニングよりも5倍近い効果があったことを発表した。
スロートレーニングは、2型糖尿病の改善に効果があったことも報告されている。男女9名の患者に、自重の筋発揮張力維持スロー法、ワイドスクワット、スプリットスクワットを週2回、4ヵ月実施したところ、改善が確認された。
「駆け足で話して行きましたが、ここまでは過去と現在の話です。では、これから先はどうなっていくのかにも触れたいと思います。東京大学FSIプロジェクトとして、『転ばぬ先のVRスロートレーニング』の研究も進んでいます」
VRとは、もちろんバーチャルリアリティーの略。自宅にて、バーチャルリアリティーの技術を使ったスロートレーニングができるようになる最先端のシステムだ。実現はまだ先になるが、緊急課題として取り組んでいると言う。
トレーニングの頻度についても、知りたいことのひとつ。週に何回、筋トレをするのが効果的なのだろうか。これについては、マウスで研究を行ない、8時間、24時間、72時間と間隔をあけたところ、8時間のインターバルではタンパク質合成が上がらないことが分かった。タンパク質合成の観点からみると、中3日が最適頻度なのかもしれない。
石井教授は、サルコペニアについても触れた。「サルコペニアは、加齢とともに筋線維が細く弱くなることを示していますが、実際は速筋線維の数の割合が減り、個々の筋線維が細くなります。遅筋線維は日常的な活動をしていれば維持ができますが、速筋線維は長期的な活動低下で徐々に委縮してしまうため、筋トレが必要になります」と説明した。
これに関連して、筋トレの認知症予防効果を語った。
「日常的に運動をすれば、認知症にかかるリスクが下がる報告はたくさんあります。82歳を700名近く集めて、低活動群、高活動群に分けて3年間測定したところ、運動をしている高活動群が3倍近くリスクを回避できたようです。でも、なぜ認知症にいいのか、まだ解明されていません。仮説になりますが、筋トレをすることで筋肉から認知症を予防する物質が出る可能性があります」
最後に石井教授は、『Newsweek』に掲載された2100年の人間の姿をスクリーンに映し出し、「便利さと引き換えに、人間本来の身体が持っている機能を失う危険性があります。筋力を使わずに機械が代用してくれる、AIの発達で脳を使わないことも考えられます。筋トレーニング研究が、人類の未来を救うことになると私は信じています」と力説した。
シンポジウムは石井教授の後に、各分野で研究を進めている先生方が登壇。小笠原理紀先生、中里浩一先生、田村優樹先生、佐々木一茂先生と続き、最後は総合討論を行ない、盛況のうちに幕を閉じた。
文・写真/松井孝夫