学生ボディビル、通称・学ボを盛り上げるべくスタートした連載「学ボ応援団(GKB応援団)」。今回は、自身は全日本学生ボディビル選手権準優勝(2013年)をはたし、同年のミスター早稲田にも輝いた和田駿コーチが登場。OBとして、現在のクラブをどう見ているのか? 自身の学生時代も振り返りながら、2回に分けて話してもらいました。
OBたちがタスキをつないできた伝統
ちびめが 和田コーチのインタビュー……ということなのですが、学生として活躍している頃から知っている私としてはそう呼ぶのは違和感あるので、和田君と呼んでいいですか?
和田 はい、大丈夫です(笑)。
ちびめが では、改めて。現在、和田君が早大バーベルクラブのコーチとして活躍されているとのことですが、就任した経緯を教えてくれますか?
和田 歴史が長いバーベルクラブですが、コーチの役職ができたのは2012年からで実は10年弱の話なんです。宮田秀幸さん(1995年度卒)がクラブの監督を長らく務めており、2012年からコーチを務めていた僕の4つ上の先輩の高梨朋哉さん(2009年度卒)がその後、2016年に監督に就任しました。この間にも複数名コーチを務めたOBがいましたが、海外転勤に伴う退任がありました。僕は2018年にコーチ就任の声を掛けてもらい今に至ります。
ちびめが クラブのOBがバトンを継いできているのですね。コーチというのはどういうことをされているのですか?
和田 実際のところ、学生のトレーニングを指導しているというわけではありません。あくまで監督が全体の総括として行事などの仕切りを行ない、僕はそのサポート役をしつつ、学生たちの相談役というか。歴史が長くOBの方もたくさんいらっしゃるので、OBと学生との橋渡し役の側面も大きいですね。
ちびめが 学生のみなさんからも話を聞いたのですが、そもそもクラブ全員でトレーニングをするということは、あまりないんですよね。
和田 そうですね。普段学生たちは、学内あるいは学外のジムで個別にトレーニングを行なっているので、いろいろと相談に乗ることはありますが、トレーナーのように教えるということはあまりありません。もちろんトレーニングに付き合うことはありますが。クラブとして全体で集まるのも、実は年間を通してもそんなに多くはないので、コーチという肩書ですが、少しイメージされている役割とは違うかもしれません。
ちびめが 日体大や帝京大のバーベルクラブにも話を聞いてきたのですが、彼らは部の結束を強めるために週1回は集まるという方針にしているとのことでした。そういう意味では、早大は真逆というか、これだけ歴史があるクラブなので少し意外な気がします。
和田 毎週集まるのが必ずしもベストではない、という考えだと思います。昔は合同トレーニングを定期的にやっていたみたいですけどね。ただ、学生たちは所属する学部もバラバラで授業のスケジュールも異なるため、全員が集まるというのもなかなか難しいんです。それに、かつては今と比べ部員がとても少なかった時代があり、次第に集まれる人数も減って合同トレーニングをやらなくなったという話を聞いています。
ちびめが 合同トレーニングをするとクラブとしての一体感は高まるけれど、トレーニングの効率とかを考えるとどちらが良いかは環境などにも変わりますからね。
和田 そうですね。その日にやりたいトレーニングもタイミングも各々で違いますし、みんなのスケジュールのことを考えると、集まるが必ずしもベストではないと僕は考えます。特にスポーツ科学部や人間科学部など所沢キャンパスに通っている学生に都内のキャンパスに集まるのも大変ですし、学校のトレーニングセンターをクラブで占有できるわけではないので、やはり効率や人数的な問題を考えると難しい面があります。
ちびめが 実際に学生ボディビル選手権では個人でも団体でも結果を残し続けているわけですから、ある意味、一つのやり方なのかもしれません。
和田 まぁ人数が多いだけ……という面もあるかもしれないですけど、そこはこのクラブの強みですね。
★次回は和田コーチの後編。学生時代の活躍ぶりと、今後のバーベルクラブの展望を伺います。
早大バーベルクラブ
ボディビル、パワーリフティング競技に取り組む1962年創部の早稲田大学の学生の会。初代部長は1960年ローマ五輪ウエイトリフティング競技に出場した早大名誉教授の故・窪田登氏。同クラブは1965年関東学生連盟発足時より運営・競技に中心的役割を果たし、現在も各大学の体育会が加盟する学生連盟に同クラブは同好会として加盟する。ボディビル全日本学生選手権大会の優勝者は過去5人。2013年より創設された全日本学生選手権大会「団体の部」で、17、18年と連覇し、通算4回目の優勝を果たす。OBにプロボディビルダーの山岸秀匡氏(1996年度卒)。
インタビュー/ちびめが 写真/木村雄大