鍛え抜かれた体と、不屈の精神で頂点を目指すパラ・アスリートを紹介するシリーズ。今回登場するのは、パワーリフティングの西崎哲男選手。競技を始めてわずか3年でリオデジャネイロ2016パラリンピック競技大会に出場を果たし、東京2020パラリンピックでさらなる飛躍を目指す42歳のアスリートの歩みに迫る。
陸上競技ではパラリンピックの夢叶わず
東京開催が決まりパワーリフティングへ
――パワーリフティングを始める以前は陸上競技をやっていたそうですね。まずは競技者としての歩みを教えてください。
西崎:元々、高校のときにはレスリングをやっていましたし、子どもの頃から体を動かすことが好きでした。23歳のときに事故に遭って車いすになって、車いすでも一人で動けるようになるためには筋トレが必要でした。車いすを漕がないといけないし、車を運転しようと思ったら車いすを積み込まないといけない。筋肉、筋力があったほうがいいなと思って、大阪市長居の身障者スポーツセンターに筋トレをしに行くようになりました。
――最初は日常生活に必要な筋力をつけることが目的だったのですね。
西崎:そうです。そのとき、スポーツセンターのトレーナーの方から「陸上競技を見てみないか」と誘われて見にいったことが始めたきっかけです。
――競技としては短距離をやっていたのですか?
西崎:僕がやっていたのは、100m、200m、400m、1500mです。1500mまでをメインでやっていました。
――競技用の車いすは日常生活用とまったく違いますよね?
西崎:まったく違いますね。うつ伏せ状態で体の上げ下げをするので背筋の力が必要です。そしてある程度タイヤが回り始めたら、思い切り漕ぐのではなくて皿回しみたいな感じで動かしていきます。
――力だけではなく技術も必要なんですね。
西崎:でも僕にはその技術はなかったです(笑)。
――陸上競技でもパラリンピックを目指していたのですか?
西崎:そうですね。事故に遭う前にレスリングをやっていたときは、そこまでオリンピックを目指そうという気持ちはありませんでした。車いすになってからは、全体的な競技人口が少ないこともあり、全国大会など大きな大会に出場できる機会が多くなりました。全国大会となると、そこにはパラリンピックの選手も出ていて、身近に触れる機会がありました。近くで見る機会が多くなったことで、自分も出たいなと思うようになっていきました。
――陸上競技ではパラリンピック出場の目標を叶えられず、一度は競技を引退しているそうですね。これは何か理由があったのですか?
西崎:2011年に娘が生まれたことがきっかけで、一度は競技から離れることにしました。陸上は2008年の北京大会前くらいから始めて、2012年のロンドン大会にも出ることは叶いませんでした。当時、仕事が17時半くらいまでで、そこから移動して練習をすると、帰宅するのが22時くらいになります。子どもの成長が見られないのも嫌だなという気持ちもあったので、中途半端に続けるくらいなら辞めようと決断しました。
――そうしたなか、2013年に東京でオリンピック・パラリンピックの開催が決まりました。ここで気持ちの変化があったわけですね。
西崎:やはりどこかでパラリンピックに出たいという気持ちはあって、妻に相談した結果、目指してみようということになりました。陸上以外の新たな競技を考えたとき、あるパワーリフティングを考えました。
――2013年に競技復帰を決めて2020年までは7年間ありますが、新たな競技でとなると、簡単なことではないですよね。
西崎:ただ、パワーリフティングは記録を見ていて、日本では勝てるのではないかと思いました。
――自信があるということは、レスリングをやっていた時代からベンチプレス、ウエイトトレーニングは好きだったのですか?
西崎:高校のときは好きではなかったです。先生の見えないところに隠れていました(笑)。ベンチプレスも70㎏くらいしかできなかったと思います。母校の添上高校はスポーツが盛んな学校で、当時は陸上競技で全国大会総合優勝をしたりしていました。ウエイトトレーニングのとき、女子の投てきの選手が100㎏を挙げている横で、50㎏でつぶれたりしていたので、恥ずかしくてウエイトトレーニングは嫌でした(苦笑)。追い込むのは嫌いでも、体を鍛えることは好きだったので、いざパワーリフティングをやろうというときにすんなり入っていけたのだと思います。陸上時代も補助トレーニングとしてベンチプレスをやっていて、100㎏は挙げていたので、そこまではすぐにいけるかなと思っていました。2年間ブランクはあったといえ、やれば挙がると思っていたので、そこまで不安はありませんでした。実際、戻るのは早かったですね。
――試合でもすぐに結果がついてきたのでしょうか?
西崎:2013年の9月に始めて12月の段階で115㎏を挙げて日本記録を取りました。その後、2月のヨーロッパオープンへの出場を日本パラ・パワーリフティング連盟から打診されて出場しました。そこで国内と同じようにやっていたら、一本目は失敗と判定されました。当時、日本の審判はそこまで厳しくなかったので、国内では失敗と見なされなかったのが、世界では違ったので戸惑いました。
――左右均等に挙げる、胸で一度静止するといった、厳正なルールの部分が日本と世界とでは差異があったのですね。
西崎:そういうことですね。当時は、単純に挙げることしか考えていなかったのですが、世界に出てみて、世界で戦うためにはもっと技術面を鍛えないといけないと感じました。
★次回は乃村工藝社との出会い、リオデジャネイロオリンピックについて伺っていきます。
取材・文/佐久間一彦 撮影/神田勲
西崎哲男(にしざき・てつお)
1977年4月26日、奈良県出身。添上高校レスリング部では国体にも出場。2014年に東京2020パラリンピック出場を目指して株式会社乃村工藝社入社。16年パラパワーリフティングジャパンカップ54㎏級1位。リオデジャネイロ2016パラリンピック出場を果たした。2019年チャレンジカップ京都で142㎏の日本記録を樹立。同年7月の世界選手権では54㎏で8位入賞。
乃村工藝社(のむらこうげいしゃ)
1892年の創業以来、商業施設、ホテル、ワークプレイス、博覧会、博物館などのさまざまな空間の総合プロデュース企業として、全国10拠点を展開し、プランナー、デザイナー、プロダクトディレクターなどの専門職が総計1,000名以上在籍しています。創業から120年以上にわたり培ってきた総合力と社会課題の解決につながる空間価値の提供で人びとに「歓びと感動」をお届けしています。
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