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オリンピックが楽しくなるコラム~日本のスポーツが強くなった理由②【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第98回】

VITUP!読者の皆様、こんにちは。日曜日のひととき、いかがお過ごしでしょうか? さて、今週は前回の続き、日本のスポーツが強くなった理由に関するコラムをお届けします。

バルセロナ、アトランタの両オリンピックでの惨敗を受けて、JOCはまずは夏季の屋内競技の強化に着手します。柔道、レスリング、バドミントン、体操、卓球、水泳、ウエイトリフティング、フェンシング、バレーボール、バスケットボールなど、対象となる各競技団体へのリサーチを開始。ナショナルトレーニングセンター(NTC)に、理想の練習場をつくりあげていきます。

大前提となったのが、オリンピックの試合場と同じような環境の練習場をつくること。日本でトレーニングしているときの状況と、本番に行ったときの状況が、視覚的にも感覚的にも全然違ってしまったら、トレーニングをしている意味が半減してしまいます。本番でストレスなく力が発揮できるようにするためには、練習環境から本番と同じ規格でなければいけません。そこで各競技団体の国際ルールを調べて、練習環境をすべて国際規格に合わせました。たとえば、体操の器具は国際大会で使用されるものと同じものを用意。レスリングのマット、柔道の畳なども直近のオリンピックで使用されるものにしました。これは卓球台も同様です。バレーボールやバスケットボールの体育館の天井の高さも、国際大会と同じ規格にすることで、本番に行ったときに感覚のズレがなくなります。

(C) show999-stock.adobe.com

NTCはこうしたトレーニング面に加え、栄養・休養にもこだわりました。競技力向上には、トレーニング・栄養・休養が三原則。トレーニング施設を充実させると同時に、宿泊施設、栄養指導食堂もNTCに併設。合宿の際、選手たちはここに宿泊し、食堂で栄養バランスに優れた食事を摂ります。宿泊施設にはリラックスできる大浴場やシアタールームもあり、食堂では三食はもちろん、必要な栄養をタイミングよく補う捕食も用意されています。クリニックも併設されていて、ケガをしたときにはすぐに適切な処置が施されるようになっているのです。

多くの競技団体の練習拠点がNTCにできたことで、競技の枠を超えた選手間の交流や、指導者の情報交換も盛んになりました。実際、取材でNTCに行くと、さまざまな競技のトップ選手を見かけます。こうした選手たちが食堂で顔を合わせれば、「遠征どうだった?」というような会話が自然発生的に生まれ、それは選手たちのモチベーションアップにもつながります。また、各競技にはNTC専門コーチがいて、コーチ同士の横のつながりで、定期的な意見交換会を実施。効果的なトレーニングの情報を共有できるようになったのです。

もう一つ、忘れてはいけないのが、人材育成を目的とした「JOCエリートアカデミー事業」。これは全国から優れた資質を持つジュニア競技選手を発掘し、一貫指導システムのもと、将来、オリンピックをはじめとする国際大会で活躍できるアスリートの育成を目的としたものです。中学1年生~高校3年生までの6年間にわたって実施しています。

中学生、高校生がNTC内のアスリートビレッジに住みながら近隣の学校に通い、放課後はNTCに戻って練習をします。こうした育成システムは例がなかっただけに不安視する声も多く、最初は賛同が得られたレスリングと卓球の2競技のみでスタートしました(現在はフェンシング、ライフル射撃、飛込みもあり)。早くから取り組んできたレスリングと卓球では、乙黒拓斗選手、向田真優選手(レスリング)、張本智和選手、平野美宇選手(卓球)といった、東京オリンピックのメダル候補が、エリートアカデミーから誕生しています。

このようにさまざまな面で、本気で競技力向上に努めてきた成果が実り、日本は90年代の低迷から脱却。2012年のロンドン大会では38個(金メダル7個)、前回のリオデジャネイロ大会では、41個(金メダル12個)のメダルを獲得。世界のトップ3も視野に入る位置にいます。目前に迫ってきた東京大会ではさらなる躍進が期待されます。

日本のスポーツが強くなったのは、選手たちの努力はもちろん、国をあげての強化がその背景にあったのです。それと同時に強化体制が不十分だった不遇の時代でも、競技の火を守るべく尽力していた各競技団体の関係者、選手たちがいたからこそ、現在があることも忘れないでください。

 

 

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。