新型コロナウイルスの感染が世界中に拡大するなか、その予防策の一つとして「免疫力を高める」という意見がよく聞かれる。一般的に、免疫という言葉は、「病原菌などが体に侵入してきても病気にかからない、あるいはかかりにくい状態にあること」を意味する一方で、「物事が度重なると、むしろその状態に慣れ親しんでしまう」という、いわゆる鈍感力のようなイメージにも用いられる。
いずれにせよ、前者の医学的な観点からとらえた免疫については、その機能や効果については「なくてはならないものらしい……」という程度の漠然としたものでしかないのではないだろうか。そこで、自己免疫疾患の病態研究と新しい治療法の開発、及び神経と免疫のクロストークを2大テーマとして研究されている順天堂大学医学部の三宅幸子教授に『免疫とは何か?』という素朴かつ基本的な疑問についてわかりやすく回答していただいた。
■ウイルスは自力で増殖できない
——まず、免疫学者の視点から、このたびの新型コロナウイルスの感染をどのようにとらえていらっしゃいますか?
三宅:一般的にウイルス感染というのは、ごく一部のウイルス感染(例えば、エイズやC型肝炎)などを除いて、感染した人の多くは特に治療しなくても1~2週間ほどで病気は治っていきます。ウイルスが原因となる感染症の代表例としては、風邪、インフルエンザ、おたふくかぜ、麻疹(はしか)などが挙げられます。コロナウイルスは風邪を引き起こすウイルスの一つですが、‟新型コロナ″は人類がこれまで感染したことのないウイルスで、コロナウイルスの中でも「中東呼吸器症候群(MERS)」「重症急性呼吸器症候群(SARS)」に続く最も新しい型です。発熱や咳、体のだるさ(倦怠感)など風邪に似た症状がありますが、肺炎を起こし感染者の2割は重症になるといわれています。
――なるほど。新型コロナもいわゆる風邪と同じような症状を引き起こすウイルスの1つである、と。
三宅:通常のウイルス感染同様、新型コロナの場合も、感染した人の多くは無症状もしくは軽症といわれています。しかし、このウイルスがどういう性質をもつかはまだ不明なことも多く、その感染症が世界各国で爆発的に増加していることが私たちの不安をさらに煽っている大きな要因になっています。
——風邪を引いたときには、発熱や咳、鼻水・鼻づまりなど必要に応じてそれぞれの症状を緩和する薬を飲み、栄養や水分を十分にとって安静にしていれば治るものと思っています。そこには病気に対する不安はあまりありません。とはいえ、風邪に効く特効薬というものもありませんが……。
三宅:風邪薬といわれるものは、症状を和らげることを目的とするものが多く、それによって風邪を根本から治せるというわけではありません。抗生剤については、ウイルス感染によって身体が弱ったところに二次的に細菌感染が起こることを防ぐ目的で使用します。抗生剤を使いすぎると、それに対する耐性菌が生じる可能性があるので、風邪薬として抗生剤を使うことには議論があります。
——つまり、抗生剤は必要のないときには使わないほうがいいというわけですね。耐性菌が増えてなんらかの悪さをしたときに、それは抗生剤が効かない菌というわけですから、ここぞという治療の際にはかえって困るから、と。
三宅:ただし、小さな子どもや高齢の方の場合、二次的な肺炎や脳炎を抑制するという意味での効果は期待できるので、必ずしも悪いともいえません。もちろん明らかに細菌感染が疑われる場合には抗生剤が必要になることはいうまでもありません。そのまま放置していては命を落とすことになりかねません。ここがウイルスとは対応が異なるところです。
——ウイルスと細菌とをごっちゃにしてはならない。ウイルスは生物かどうかという議論があると聞いていますが、それはどういうことですか?
三宅:細菌は、自ら細胞分裂を繰り返すことによって生存・増殖していくのに対して、ウイルスは自力で増殖することはできません。そういう意味では、生物であるとはいいづらいのだと思います。では、鉱物かといわれると、それもまた違う。しかし、ウイルスは動植物の細胞の中に入り込むことによって、その細胞の機能や仕組みを利用して自身のコピーをどんどん増やしていくのです。
■集団免疫をつけて終息に向かわせる戦略
——他力本願というわけですね。
三宅:はい。ウイルスは自分が増えるためにホスト(宿主)が必要となります。したがって、ホストをすぐ死に至らしめるようなウイルスはそのホストの中では増えることができないわけです。ですから、通常ホストとして感染する生物については、致死的な病気を起こさないわけです。
——いわば、持ちつ持たれつの関係で、それ以上の悪さはしないというところでなんとか均衡を保っているともいえますね。
三宅:とはいえ、新型コロナの場合には、他の動物をホストとして生存していたウイルスが人類に感染し、人から人に移っているのではないかと考えられています。 そして、これまで感染の経験がないので、免疫がまだできていない状態で、20%は重症化してしまいます。しかし、無症状や軽症の人も多いので、その人たちが感染をどんどん広げてしまい、大きな問題となっています。
——例えば、インフルエンザであれば、その正体はある程度つかめているから、ワクチン摂取などによって防対策に努めることはできますが、新型コロナの場合はそれに対する免疫もないし、ワクチンも開発されていないということが問題なのですね。それでは、この感染を何とか制御する方法はあるのでしょうか?
三宅:ドイツやイギリスなどでは、当初、国の政策としてオーバーシュート(爆発的患者急増)によって収拾不能に陥らないよう、感染を緩やかにすることによって集団免疫をつけて終息に向かわせようとする戦略をとっていました。ただし、それには難しい点あります。集団免疫が獲得されるためには、集団のなかで感染症の免疫を持つ人の割合がある一定のレベルを超える必要があるといわれているからです。その割合は40%以上という人もいれば、60~70%という人もいます。それによって、ようやく多くの人がワクチンを打ったような状態になり、感染は終息してくる、というわけです。ワクチンが開発されるか、感染によって集団免疫ができるかを待つことになりますが、感染の広がりのコントロールがとても難しいというのが問題となっています。オーバーシュートすると、医療崩壊を引き起こし、多くの命が失われるばかりか、終息により時間がかかり、社会に与える影響も甚大となるので、オーバーシュートを起こさないことは非常に大切です。
——新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、東京都や首都圏などの各県が不要不急の外出自粛を求めた週末が3月28日から始まりました。感染者が急増する都内外の人の往来を抑え、オーバーシュートを防ぐための異例の措置といわれています。東京都では平日の在宅勤務や夜間外出の自粛も呼びかけています。
三宅:最も大事なことはオーバーシュートを起こさないこと。社会的なダメージを抑える方法を並行して行いながら、緩やかに終息させていくのが現実には重要だと思います。新型コロナの終息はいつ頃になるかは、まだわかりません。日本のみではなく、世界中の他の国々が今後どうなるかについては、現段階ではまだ予測がつきません。
<第2回に続く>
三宅幸子(みやけ・さちこ)
東京医科歯科大学医学部卒業。順天堂大学付属順天堂医院で内科研修後、同膠原病内科に入局し順天堂大学内科系大学院修了。米国Harvard Medical School, Brigham and Women’s Hospital・博士研究員・指導研究員、 国立精神・神経医療研究センター神経研究所免疫研究部・室長を経て、2013年より順天堂大学医学部免疫学教室・教授。
取材/光成耕司