世界をまたにかけた野球人が主宰する野球塾③




藤本博史さんは元プロ野球選手で、現役時代はオリックス・ブルーウェーブ(当時)をはじめ、台湾やアメリカでもプレーした経験を持つ。前回は彼が主宰する野球塾での指導論を紹介したが、その根底にはあのイチロー選手の影響があった。最終回となる今回は、藤本さんとイチロー選手の知られざるエピソードを紹介する。

世界の安打王に思いを伝えるために

アメリカの独立リーグで計3シーズンプレーした藤本さんだが、この間、シアトル・マリナーズのユニフォームにも袖を通している。マイナーのキャンプに参加したのだ。このキャンプ地のピオリアで、その後の人生に大きな影響を与える出会いをする。藤本さんがマリナーズのキャンプに参加した2001年春、日本球界の至宝がマリナーズに入団した。ご存知、イチロー選手である。

 

同じキャンプ地を共有しながら、メジャーリーガーとマイナーリーガーとは住む世界が違う。両者が唯一共有する空間が、クラブハウスのウエイトルームだったのだが、ここで汗を流す藤本さんの目の前に現れたのが、あのイチロー選手だったのだ。自身のもとに挨拶に来た藤本さんを、アメリカ野球に挑戦する同志としてイチロー選手は快く受け入れてくれた。

 

それがきっかけとなって、イチロー選手の現役引退まで、シーズン前のトレーニング・パートナーを藤本さんはつとめることになった。また、藤本さんは、日本が世界一に輝いたワールドベースボールクラシックの記念すべき第1回大会には、ブルペン捕手として参加し、世界を相手に戦うイチロー選手を間近に見ている。

 

「あれは、イチローさんとは別のご縁で参加させていただいたんですが、今思えば、イチローさんが見えないところでお世話してくださったのかもしれませんね。すごくいい経験になりました。ただ、基本ずっとブルペンにいて、ピッチャーの球を受けていましたので、選手の皆さんやスタンドの熱気とかまでは、なかなか実感できませんでしたけど。やっぱり私の仕事は投手陣の皆さんが気持ちよく準備できるようにすることでしたから。ただ、当時は藤川球児投手の全盛期で、とにかく球が速かったのが印象に残っていますね」

 

イチローさんと過ごした時間は、今、子どもたちを指導する際の糧になっていると藤本さんは言う。

 

「イチローさんから学んだ一番のことは、『無駄なことは無駄ではない』という言葉です。がむしゃらでいいんです。たとえゴールまで一直線でなくても、ひたむきに取り組んだことは、必ず後々自分の糧になる。そう思って今も野球のコーチングに取り組んでいます」

 

クールでスマートな印象のイチロー選手だが、世界の野球界に残した偉大な足跡は、たぐいまれなる才能とたゆまぬ努力なしでは生まれなかった。かつての「スポ根」から、現在は合理的な練習法がもてはやされるようになった野球界だが、やはり、頂点まで上り詰めるには、「ひたむきさ」は必要なのだということを藤本さんは、野球人生を通じて学んだ。

 

これまでの自身の経験とイチローさんから受けた薫陶から導き出したのは、「ひたむきな野球」だ。それを子どもたちに伝えたいと藤本さんは言う。

 

「まずは一生懸命やる。そこから始めます。基本は教えますが、あまり理屈や型にはめるような指導はしないようにしています。子どもたちはみんな違います。育った環境も違うだろうし、遺伝的なものも違うでしょう。それこそ、食べ物や遊びも違う。だから投げ方や打ち方もそれぞれ違って当たり前なんです。最終的には上手くなればどういう打ち方、投げ方をしてもいいんですから」

 

1時間にわたるインタビューが終わる頃、子どもたちの元気な挨拶が聞こえてきた。4人の小学生が学校を終えてやって来たのだ。準備体操を終えると、さっそくキャッチボールが始まる。子どもたちの相手をするコーチ陣の中には、昨年までオリックス・バファローズの外野手として活躍した宮崎祐樹さんの姿もあった。現在は会社員勤めをしながら、ピエンサ・アカデミーの指導の手伝いもしているという。やはり宮崎さんも藤本さんの指導方針に共感するところがあるのだろう。

 

「うちにはプロ野球OBの方も多く関わっていただいています。やっぱり野球界のつながりは大事ですね」

元オリックスの宮崎さん

 

高校野球から社会人野球、そして日米台3か国のプロ野球を渡り歩いた波乱の野球人生で手に入れた最大のものは野球を通じて培った「縁」である。

 

「野球に育てられた恩がありますから、野球で返していきたい」

 

野球を通じた新たな「縁」を紡いでいくべく藤本さんは、ひたむきに取り組むことの大切さを少年たちに伝えようとしている。

 

 

取材&文・阿佐智

 

ピエンサベースボールアカデミー