Nスポーツクラブ(大分)#1~先生が作った総合型地域スポーツクラブ~




大分市野津原(のつはる)。市の中心から車で内陸へ30分ほどのところにある、のどかな田園地帯だ。2004年までは野津原町という独立した自治体だったこの地区には、大分県県民の森があり、アウトドア派の地元民のレジャースポットとなっている。その一方で、地方都市のご多分に漏れず、少子高齢化にも悩まされている。

ここに拠点を置く総合型地域スポーツクラブがNスポーツクラブ(略称Nスポ)だ。

少年野球(ボーイズリーグ)、少年サッカー、テニス、バレーボールのほか、高齢者向けスポーツなど子どもから大人まで多様なスポーツを住民に提供しているこのクラブを立ち上げたのは森慎一郎さん、58歳だ。地元中学校で保健体育の教諭として、また野球部顧問として長らく学校の部活というスポーツの場に身を置いてきた立場から、学校がジュニア層のスポーツを丸抱えする状況に限界を感じるようになり、地域スポーツと部活との連携を目指して2004年にクラブを創設した。初めは教員を務めながらクラブ運営は無報酬のボランティアという形で行なってきたが、4年前に一念発起して早期退職の上、クラブ運営に専念することになった。

Nスポの森理事長

退職金2000万円に加え、賛同者からの出資金、スポーツ振興くじのスポーツ助成金計1億2000万円を使ってクラブの名の由来となった七瀬川のたもとの土地を購入。そこにクラブハウスと野球場、サッカー場、テニスコートを備えたスポーツ複合施設「Nスポランド」を建設し、クラブ運営を本格化させた。現在では、会員約700人を抱える野津原に欠かせないスポーツの場として機能している。さらにNスポランドを望む丘の上にある、市所有の宿泊施設、「宇曽山荘」の指定管理者としての付属のスポーツ施設を使っての活動も展開している。ここのナイター照明付きテニスコートは8面もあり、市民は夜遅くまでプレーを楽しんでいる。

大分市郊外にあるNスポランドのクラブハウス
指定管理している市の宿泊施設・宇曽山荘

これら活動の原点は、自身の中学時代にあると森さんは言う。田舎の小規模校には野球部がなく、仕方なくサッカー部に入部。野球は高校になってできたものの、学校で人数が集まらないから好きなスポーツができないのはおかしいんじゃないのか。その思いを教員になってからもずっと抱いてきた。だから最初に手掛けたのも野球だった。勤務校であった母校に野球部を作ったものの、試合に最低限必要な9人が揃わない。そこで、部員をスポーツクラブの会員とすることで、近隣中学との合同チーム、「大分七瀬ボーイズ」を結成し、過疎地の中学生が本格的に野球に打ち込む環境を整えたのだ。このチームは今や大分を代表する強豪チームに成長し、OBからは2014年にプロ野球選手も誕生した。森さんの高校の後輩でもある笠谷俊介投手はソフトバンクホークスの貴重な左腕として現在も活躍している。

また、教員として部活に携わる中で森さんはその限界も感じるようになった。日本のティーンエイジャーのスポーツは学校に依存している。その結果、教員の過剰労働、いわゆる「ブラック部活」に加え、ボランティアワークゆえに外部の目が行き届きにくいことによる指導者によるハラスメント問題、それに指導者である教員のスキル不足など、様々な弊害が現在浮き彫りになってきている。このような問題を前に文科省もようやく重い腰を上げ、教員に部活という「サービス残業」を課さない方向性を打ち出すようになった。

「学校から地域へ」という青少年スポーツのシフトチェンジの波が起こる前に「部活と地域スポーツの融合」という方向性を示したNスポは、野球だけでなく、平日の放課後は学校での基礎練習、土日は成人チームとの合同実践練習を行なうバレーボール、そして中学校の部活をそのまま地域クラブにスライドさせたテニス、陸上なども手掛け、地域住民が子ども時代からシニアに至るまで生涯にわたってスポーツに親しめる環境づくりに努めている。そして、元教員による運営とあって、「文武両道」にも配慮している。放課後のスポーツの後は、クラブハウス内で塾を開講するなど、学習体制も万全だ。

Nスポのグラウンドで練習する少年サッカーチーム
クラブハウス内で塾も開講している

森さんの目指すところは、ヨーロッパ型のスポーツクラブだ。様々なスポーツを広い年代の住民が自分のレベルに合わせて楽しむ場がヨーロッパにはある。そしてそういうクラブの中には、トップにプロチームをいただいているものもある。総合型地域スポーツクラブの一部としてサッカーや野球、バスケットボールなどの球技チームが年齢、レベル別に存在し、そのトップチームが強化に成功し、人気を高めるとプロ化していくというモデルが存在するのだ。

「将来的にはバスケットボールもやりたいんですよ。ここにアリーナを建ててね」とクラブハウス横の空き地を指差す森さんの背後には、サッカーゴールのある運動場と野球場が広がっている。休日のサッカー場では朝早にも関わらず、子供たちがウォームアップのランニングをしていた。

そんな森さんのもとに、九州に独立プロ野球リーグが発足するという話が舞い込んだのは1年前のことだった。

取材&撮影・阿佐智