ミノワマンが語るリアル超人への道Vol.3 パンクラスを目指すも書類審査で門前払い




「自信満々で履歴書を送っても返事はありませんでした」

専門学校時代のトレーニング風景

——ただ入門しようにも、まずは入門テストに合格しなければその先には進めません。

「1995年に専門学校を途中で辞める覚悟でパンクラスに書類を送りました。第1回入門テスト(1993年)で渋谷修身さん、第2回入門テスト(1994年)で近藤有己さんと、僕と同い年の人がどんどん合格していたので当時はかなり焦っていたんです。『僕も早く受験したい』と思って、第4回入門テストの時に書類を送ったんですけど、パンクラスからは何の返事もありませんでした」

——第1回入門テストは応募者が105人。近藤選手や宇野薫選手でも不合格になるような時代ですからね。

「身長172cm、体重80kgと書いて、上半身と全身の写真を送ったんですけど返事がありませんでした。そこで『実績をつくれば目に留まるのではないか』と考えて、格闘技雑誌で片っ端から出場できそうな大会を調べました」

——1993年にUFCの第1回大会が開催されたり、総合格闘技が徐々に世間に浸透し始めた時代です。大会も少しずつ増え始めていました。

「初めて出場した大会は金網でした。手づくりの金網でしたけどキング・オブ・ストロングスタイルという愛媛で開催された大会で、6人くらいのトーナメントで優勝することができました。しかも決勝戦の相手が桜井隆多さん(第2代DEEPミドル級王者)だったんです」

――桜井選手もカール・ゴッチに師事するなど、もともとはプロレスラー志望の選手でした。何で勝利したか覚えていますか?

「たしかヒールホールドだったと思います。フィニッシュ寸前までボコボコにされて逆転勝ちの試合でした。あとはSAW(サブミッションアーツレスリング)の80kg超級に出て、その時は3位でした」

——実戦形式の練習は、町道場での柔道と週1回のキックの練習だけですよね?

「友達と技の練習をするくらいで、あとはもう映像をずっと見るだけでした。SAWの後も出場できる大会を探していて、茨城県の土浦で第3回総合格闘技大会というのがあったのでそれも出場しました。その大会にも桜井さんが出場していたんですが、その時も優勝することができて、これで優勝2回と3位が1回。『これはいける』と思って自信満々で履歴書を送ったんですけど、その時も返事がありませんでした。それが専門学校を卒業する直前くらいの話ですね」

◆高橋義生に直談判