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カリスマトレーナーとカリスマレスラーによる豪華対談!【髙田一也のマッスルラウンジ 第60回】CIMA選手①




コロナ禍で休止中だった「髙田一也のマッスルラウンジ」が大復活! 再開一発目は今年、デビュー25周年を迎えたカリスマプロレスラー・CIMA選手が登場! かつて、同じジムでトレーニングをしていた旧知の仲のふたり。当時の互いの印象や対照的とも言える学生時代を振り返ってもらいました。

「通っていた学習塾をやめて、中3からジムに通いはじめました」(CIMA)

「中学生の頃は病気が悪化して、バリウムばかり飲んでいました」(髙田)

髙田:ご無沙汰しています。15年ぶりくらいですかね? CIMAさんはおいくつになられたんですか?

CIMA:僕、もう44です。

髙田:僕はもうすぐ52歳になります。初めてお会いした時、まだCIMAさんは20代でしたもんね。

CIMA:僕は最初、髙田さんをハワイアンの方かなと思っていました。髪も長かったので。

髙田:僕はもうCIMAさんが人気者ということを知っていましたので。

CIMA:いやいや、ありがとうございます。

髙田:初めてお会いしたのは結構前ですよね? 2000年前後くらいですか。

CIMA:そうですね。

髙田:僕がのちにトレーナーとして働くことになる初台のジムに当時、普通に会員として通っていたんですけど、そこでCIMAさんもトレーニングをされていたんですよね。

CIMA:当時は今みたいにいっぱいジムがない時代でしたね。

同じジムでトレーニングを行なっていた2006年当時

髙田:貴重でしたよね。そこは結構コアな方々がいらっしゃって、プロレスラーの方もたくさんいるジムでした。その中でCIMAさんと時間が一緒になることもあったので、「どういうトレーニングをされているのかな」とか、気になっていたんです。結構重いのをやられていましたよね?

CIMA:当時は首をケガする前でしたし、若くてどんどん伸びていた時期でもありましたので。このジムにはモンスター級の方が何人かいらっしゃったんですけど、髙田さんは確実にモンスター級のひとりでした。我々からしたら夢の体ですよね。

髙田:いえいえ。

CIMA:僕はどうしてもレスラー目線で考えてしまうんですけど、もし髙田さんがレスラーやったら、アメリカのWWEとかに行っている系の人やなというイメージで見ていたんですよね。この人は絶対に表に出る人やなと。

髙田:ありがとうございます(笑)。

CIMA:僕らプロレスラーから見ても、ただ者じゃないオーラをまとっていましたもん。

髙田:とんでもないですよ。でも当時、プロレスラーの方がたくさんいらっしゃる中でもやっぱりCIMAさんが目立っていたんですよね。僕はプロレスラーの方を指導させていただくこともあったんですけど、みなさん「彼(CIMA)は何年にひとりかの天才」とおっしゃっていました。

CIMA:適当にふらふら生きていただけですよ(笑)。

髙田:うちで10年働いている鵜飼守というトレーナーがいるんですけど、この仕事を始めたきっかけはCIMAさんですから。

鵜飼:そうなんです。2005年のお台場毎日プロレスで、CIMA選手を見て筋トレを始めたんですよ。

髙田:筋トレを始めてトレーナーになって、ボディビルの大会にも出たんですよ。

鵜飼:トレーナーをやっていれば、いつかお会いできるかなと思っていました。

CIMA:うれしいです。でもあの頃って、本当に食事とかめちゃくちゃだったんです。泊まっていた新宿のホテルの近くにナンカレー屋があって、毎日食べていました。それでも若いので脂肪はあまりつかなくて。25、6歳とかはそんな感じでしたね。

髙田:その頃ってそうですよね。

CIMA:だから今の若い子たちが本当にうらやましいです。

髙田:たくさん食べても絞れていますもんね。

 

――CIMA選手は5月18日のGLEAT後楽園ホール大会でデビュー25周年記念試合を闘いましたが、トレーニングの面でもこれまでの足跡をたどっていただきたいと思います。

CIMA:僕は中3からジムに通いはじめました。そんなに裕福な家庭でもなかったので、当時通わせてもらっていた学習塾をやめて。受験とかはあまり考えずに、「プロレスラーになりたい」という理由でジムに入れてもらったんです。今考えたらクレイジーな親ですよ。

 

髙田:スポーツクラブのようなジムですか?

CIMA:いや、もうガッチンゴッチンのボディビルジムです。当時はユニフォームまで指定されていて、サウナで着るようなシャツみたいなのとバギーパンツを必ずそのジムで購入してという。

髙田:その時代にすごいですね。ジムに通ったのは「プロレスラーになるんだ」という目標があったからということですよね。

CIMA:そうです。

髙田:すごい。その年齢でもう将来を決めていたんですね。

CIMA:本当に勉強が嫌で嫌でしょうがなかったんです。

髙田:通いはじめて体は変わりましたか。

CIMA:入会当時は体重が60kgくらいしかなかったんですけど、やっぱり若かったので、日に日に自分でもわかるくらい筋肉質になっていきました。でも当時は具体的な参考がなくて、ブルースリーみたいになりたいとか、そういう漠然とした感じでした。

髙田:でも最初はみんなそこですよね。

CIMA:そうですね。だから毎日ベンチプレスやって、ヒンズースクワットやって、腹筋やってという感じで、本当に毎日同じメニューでした。部位を分けるという概念もなかったので、2時間くらいジムにいるような中学生でしたね。

髙田:僕は中学の頃と言うと、体育の授業も全部休んで、帰宅部で、入院もよくしていて、暗かったですね。

CIMA:現在の姿からは想像ができないですね。

髙田:子どもの頃から抱えていた病気が中学生の時に悪化してしまって、バリウムばかり飲んでいました。バリウムが主食かっていうくらい。

CIMA:中学生でバリウムデビューは早いですね。

髙田:そうなんですよ。途中からイチゴ味がついたんです(笑)。

CIMA:バリウムなんて生涯、何回飲むかわからないくらいのものですよ。

髙田:なかなか対照的な中学時代ですよね。もし一緒にいたら、僕は間違いなくCIMAさんにいじめられていたと思いますよ(笑)。

CIMA:僕はもう今のままという感じです。昔から僕を知っている人は、「本当にそのまま大人になったね」ってみんな言いますね。

髙田:その後、高校生の頃にメキシコに行かれたんですか。

CIMA:そうですね。もともと、高校には入らずメキシコに行くと自分の中で決めていたんです。高校だけは行ってくれとは言われなかったんですけど、そういう感じの流れになって。でもやっぱり飛行機代とかお金がかかりますので、高校生の時にアルバイトをして。

髙田:なぜ日本のプロレス団体ではなく、海外だったんですか。

CIMA:メキシコのプロレスを見た時に、本当に楽しかったんですよね。ガチガチ体と体でぶつかり合うのもよかったんですけど、やっぱり華やかさが全然違ったんですよ。まだ童心でしたので、自分がものすごく楽しいと思ったものをやりたいなと。サッカーのキングカズが高校を中退してブラジルに行ったという逸話を聞いていたので、「カズがブラジルなら俺はメキシコやな」と同じようなイメージを持っていました。

髙田:とはいえ、高校生で単身海外に行くというのはすごく勇気がいりますよね。

CIMA:原付で走っている時にたまたま旅行会社を見つけて、ロサンゼルス直行便いくらとか、サンフランシスコはいくらみたいなのが書いてあるのを見て、「メキシコっていくらですか?」と旅行会社の人に聞いたんです。

髙田:いいですね。

CIMA:でも未成年だったので、親の承諾書がいるということで資料を家に持って帰ったら、親がすぐ書いてくれたんですよ。

髙田:協力的だったご両親がいらっしゃったからこそなんですね。

CIMA:そうですね。本当に可能性を潰さないというか。

髙田:言葉はどうしたんですか?

CIMA:カタコトの中学英語ですね。その時お世話になったドス・カラスさんは英語ができましたので、スペイン語を話す必要はなくて。言葉以外でも僕は全然学がなくて、時差というものの存在を知らなかったんです。日本の午前10時は明るいけど、アメリカの午前10時は暗いと本気で思っていました。国によって時間が変わるという概念がまったくなかったんです。ロサンゼルスの乗り継ぎの時も、自分の時計が日本時間のままだったんです。えらい待たされるなと思いながらベンチで寝たりとかしていたら、もう飛行機は飛んでいて。それでどう交渉したかは覚えていないんですけど、空港の人が最終便に変更してくれたんです。でも、迎えに来てもらう予定だったドス・カラスさんはもちろん帰ってしまっていて、それでもそのヤバさに僕は気づいていなくて、機内で日本のマンガを読んでいたんですよ。そうしたら日系人のおばさんが「お若いのにひとりでメキシコに何しに行くんですか」と声をかけてくれたので事情を説明して、その方が予約しているホテルまで連れていってくれて、ドス・カラスさんにスペイン語で電話してくれたんですよね。

髙田:海外ってそういう出会いがあったりしますよね。すごく親切にしていただいたりとか。

CIMA:本当にそうですね。その時は夏休みの1ヵ月間くらいメキシコに行っていました。

髙田:メキシコというと、食あたりをしてしまうことはなかったですか。

CIMA:その時は朝昼晩、プロレスラーがやっているカフェみたいなお店でご飯を食べていたんです。サンドイッチとかご飯、ステーキとかなんですけど、あたることはなかったですね。高校を卒業してメキシコに住んだ時にはあたったこともありました。

髙田:メキシコではどんなトレーニングをされていたんですか。

CIMA:ドス・カラスさんの息子さんがいて、その時すでにレスリングのオリンピック強化選手だったと思うんですけど、16歳~17歳くらいで190cm、110kgくらいあったんです。その息子さんが毎日車で迎えに来てくれて、ジムでしごかれていましたね。1ヵ月経って日本に帰ってきた時に、学校の友達とかに「めちゃくちゃ体変わったね」って言われました。髙田さんは海外でトレーニングをされたり学んだりしたことはあったんですか?

髙田:ロサンゼルスで勉強したことも多いです。やっぱりメッカじゃないですか。ジムに行ったらすごい体の人たちがたくさんいて、それまで自分がしていたこととは全然違うことをやっていたんです。見よう見まねでやってみたらすごい効いたりしたので、それが今のベースになっている部分もあると思います。

CIMA:とくに昔のマシンなんかは日本のものと性能の差がありましたよね。

 

撮影/佐藤まりえ 取材・構成/編集部

 

髙田一也(たかだ・かずや)
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP

CIMA(しーま)
本名・大島伸彦。1977年、大阪府出身。1997年に闘龍門1期生としてメキシコでデビュー。2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝となったが、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめた。2004年、闘龍門から闘龍門ジャパンが独立しDRAGON GATEとなると、同団体でもエースとなり数多くの王座を獲得。2018年には海外を中心としたOWEで活動することを発表。ユニット#STRONGHEARTSで国内でも数多くの団体に精力的に参戦。2021年には全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王座を獲得。他の選手と同じ技を使いたくないというこだわりを持ち、数多くの高度なオリジナル技を開発。多彩なテクニックと、巧みなマイクアピールで現在もトップ戦線を走り続けている。2021年3月12日新宿FACEでのリング上で、自身と#STRONGHEARTSのGLEATの入団を発表。リデットエンターテインメント株式会社の執行役員、及びGLEATのChief Strategy Officerに就任。
GLEAT公式HP