満腹でトレーニングをするのがCIMA流!?【髙田一也のマッスルラウンジ 第61回】CIMA選手②




コロナ禍で休止中だった「髙田一也のマッスルラウンジ」が大復活! 再開一発目は今年、デビュー25周年を迎えたカリスマプロレスラー・CIMA選手が登場! かつて、同じジムでトレーニングをしていた旧知の仲のふたり。今回は、トレーニングにまつわる話やケガとの向き合い方などをテーマにトークを繰り広げました。

「僕の考え方としては、痛めた個所は強化しないと治らない」(髙田)

「昔は試合の直前でもバーベルとダンベルは必ずやっていた」(CIMA)

 

――CIMA選手は日本の団体に入門するという、プロレス界のセオリーをたどることなくメキシコに行かれました。髙田さんもパーソナルトレーナーがまだそんなにいらっしゃらなかった2003年に、パーソナルトレーナーとしての活動を始めています。そういう意味では、おふたりには道なき道を歩んできたパイオニアという共通点があると思います。

髙田:当時、日本にパーソナルトレーナーだけで生計が立っている人はほぼいなかったんですよね。でも、必要とされているというか、絶対にそういう時代になるだろうという自信があったんです。

CIMA:僕の場合は後輩のレスラーが同じような道をたどっているので、今この段階だからこういう悩みを抱えているんだろうなとか、だいたいわかりますね。若い時は本当に、髙田さんのパーソナルと一緒かもしれないですけど、何もわからないのでこれを生業として生きていけるのかな、生活が成り立つのかなというところからのスタートでしたので。

髙田:最初の頃ってそうですよね。まず、プロレスラーになるまでがめちゃくちゃ大変なわけじゃないですか。でも、いざプロレスラーになってからも、「この先、俺はこれでやっていけるのか?」みたいな葛藤がある人もいると思うんです。僕もパーソナルトレーナーになるまでが本当に大変だったんですけど、最初の3ヵ月くらいはまったくお客さんがつかなかったんです。その時に、パーソナルトレーナーになることしか考えていなかったな、その先の目標を決めていなかったなと気づいたんですよね。そこで考え方を切り替えて、他の人にはない自分のいいところって何かなと考えて、そこを伸ばしていこうと決めて、そこからはだんだん集客も伸びていきました。

――鍛えることが仕事の一環でもあるおふたりですが、体を維持する秘訣があれば教えてください。

 CIMA:僕、維持できていないので(笑)。今一緒にやっている後輩とメキシコ行った時に、みんなでお腹がパンパンになるまで食べていたんですよ。当時、僕は30代の前半くらいでまだ元気な時だったので、お腹がパンパンの状態で「よし、じゃあ次ジム行こうか」「今から行くんですか」「いや、腹パンパンの時に行くのがオシャレやから」って、めちゃくちゃな理論を振りかざしていたんですね(笑)。その数年後、その後輩と上海に1年半くらい住んでいたんですけど、昼ごはんを食べた後に「俺ちょっと帰って夕方の練習まで寝るわ」って話をしたら、後輩は「今からジムに行きます」と。「ようこんなメシ食った状態でジムなんか行けるな」って言ったら、「いや、それCIMAさんに言われたんですけど」って(笑)。昔はどれだけ食べても夜にサウナ行って踏み台昇降を30分くらいすれば、水分が抜けるんで体重がチャラになるじゃないですか。それでもとに戻っているって、本当に信じていたんです。だから理論とかは何もなかったんですよね。

 髙田:ずっとカッコいい体を維持されている印象がありますけどね。

 CIMA:首をケガしてからは重量も重たいのができなくなったりとか、そういう悩みもありました。一度、遺伝子検査をしてみたことがあるんですけど、妻より基礎代謝の数値が低かったんです。体重は20kg以上違うのに。だから太りやすくなっているのかとショックを受けました。

 髙田:ケガの話で言えば、僕はケガをされているクライアント様に対しては「無理をしないでください」と言うタイプなんですけど、自分に関しては全然関係なくやっちゃうんですよね。去年の年末も、太ももを全治1ヵ月の大ケガをしてしまったんですが、脚以外の部位は休まず高重量でトレーニングをしてました。

 CIMA:レスラーっぽいですね。

 髙田:だからCIMAさんと同じジムにいた頃も、プロレスラーの方々と話が合ったのかもしれないですね。僕の考え方としては、痛めた個所って強化しないと治らないんじゃないかなと思っているんです。ゴルフのプレー中とか、トレーニング以外の時にケガをされたというクライアント様もいらっしゃるんですけど、トレーニングは絶対にやめたくないとみなさんおっしゃるんです。だから何とか痛みが出ないように強化するようなやり方をしているんですけど、結構それが成功するんですね。本当にその人その人じゃないですか。「この場合にはこう」という決まったマニュアルはなかなかないんですよね。だからこそパーソナルトレーニングだと思うんですけど。

 CIMA:なるほど。

 髙田:その人の気力というか、気持ちというか、そういうものもすごく大切ですからね。先ほどの満腹でトレーニングをされるお話だって、一般的には推奨されていないですけど、気持ちのテンションってすごく大切だと思うんですよ。今の時代、トレーニング法はネットを見ればいっぱい出てくると思うんですけど、自分で決めちゃっていいんじゃないかというところはあると思うんですよね。論より証拠じゃないですけど、そんな感じでも全然、CIMAさんみたいにカッコいい体がつくれるわけですから。

CIMA:その頃はたぶん、維持できていたと思うんですよ。重量も伸びていましたし。

髙田:絶好調でしたもんね。今って根性論とか言っちゃいけない時代になってきていると思うんですけど、でもやっぱり気持ちのテンションはすごい大切だなと思っていて。トレーニングなんて、とくに気持ちのテンションがなかったらできないですからね。トレーナーとしては正しいことを言っていないのはわかるんですけど。

CIMA:試合の日も開場から試合開始まで1時間あるので、当時所属していた団体では僕主導で、ベンチ台とバーベルとダンベルは絶対に持って行かせて必ずやっていましたね。でも最近はまったく。若い選手が試合の前に昔ながらのスクワットをやったりとか、プッシュアップをやったりとか、受け身をバンバンとっているのとかを見ると、「試合前にそんなトレーニングしたら試合できへんよ。ケガするよ」って言います(笑)。

髙田:だんだん大人になってきましたね(笑)。年齢を重ねるごとにトレーニングも変化してきたと。

CIMA:一時期、自転車とランニングのトライアスロンを毎日やっていたんですけど、ヒザが悪化してランニングができなくなったんです。だから今は週4回、水泳に行くようにしています。いい体をしているレスラーに聞いたら、「そんなに毎日有酸素せんほうがいいですよ」って言われるんですけど、しないと気持ち悪いんですよ。走れないんだったら泳ぐしかないやろということで帳尻を合わせているんですけど。本当は有酸素をやりたくないんですけど、やらないと安心できないんですね。

 

撮影/佐藤まりえ 取材・構成/編集部

 

髙田一也(たかだ・かずや)
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP

CIMA(しーま)
本名・大島伸彦。1977年、大阪府出身。1997年に闘龍門1期生としてメキシコでデビュー。2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝となったが、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめた。2004年、闘龍門から闘龍門ジャパンが独立しDRAGON GATEとなると、同団体でもエースとなり数多くの王座を獲得。2018年には海外を中心としたOWEで活動することを発表。ユニット#STRONGHEARTSで国内でも数多くの団体に精力的に参戦。2021年には全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王座を獲得。他の選手と同じ技を使いたくないというこだわりを持ち、数多くの高度なオリジナル技を開発。多彩なテクニックと、巧みなマイクアピールで現在もトップ戦線を走り続けている。2021年3月12日新宿FACEでのリング上で、自身と#STRONGHEARTSのGLEATの入団を発表。リデットエンターテインメント株式会社の執行役員、及びGLEATのChief Strategy Officerに就任。
GLEAT公式HP