静岡生まれの控えめ女子が、チアでアメリカンドリームを掴むまで【NFLチアリーダー・猿田彩#1】




まぶしい笑顔とエナジー満点のパフォーマンスで観客を魅了する、チアリーダー・猿田彩さん。そんな猿田さんが所属するのは、世界最高峰のアメリカンフットボールリーグであるNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)だ。倍率10倍を超えるオーディションを突破し、夢を掴んだ猿田さんの歩みとはどのようなものなのだろうか。ここでは夢を追い続けた猿田さんの人生や、パワフルなパフォーマンスの原動力に迫る。第1回はチアリーダーを目指したきっかけについて。

人を勇気づけ、支える。それが本当のチアリーダー

「チアリーダーは私の生き方そのものです。チアと出会って、人生がハッピーになりました」

そう話すのは、アメリカのフットボールリーグ・NFLでチアリーダーを務める猿田彩さん。口調は柔らかくも力があり、言葉の一つひとつからエネルギーが伝わってくる。話を聞いているだけで、こちらも元気が湧いてくるような感覚を覚えた。

チアリーダーといえば、野球の試合などで会場を華やかに彩っている印象があるだろう。選手や観客にエネルギーを送り、勝負の世界に華を添える。その前提はもちろん正解だが、じつはチアリーダーの本質がそれだけではないことを、みなさんはご存じだろうか。

とくにアメリカでは、チアリーダーは女性のロールモデルであり、ボランティアなどの慈善事業も活動の一環となっている。決して報酬が多いとは言えないが、それでもチアリーダーを志す女性は後を絶たない。中でも猿田さんが所属するNFLは、倍率10倍を超える超難関。ダンスの腕はもちろん人間性も重視される、世界中のチアリーダーにとってあこがれの場所なのだ。

本場・アメリカのみならず、日本でもチアリーダーの活動内容には、ボランティアなどの慈善事業が含まれている。チアリーダーの本質とは、社会全体を元気づけ、支えることと言っても過言ではないだろう。

現在、NFLのシンシナティ・ベンガルズに所属する猿田さんも、かつてはチアリーダーにあこがれ続けた女性のひとり。これまでの歩みを聞くと、夢を追い続けた記憶が蘇った。

NFLのシンシナティ・ベンガルズでのオフショット。右から3番目が猿田さん

アメリカへのあこがれは、中学時のショートステイから

静岡県で生を受け、両親の愛情のもとで元気に育った猿田さん。控え目な性格ながらも体を動かすことが好きで、幼少期からダンスに取り組んでいたという。

両親ともに静岡育ちで転勤もナシ。一見すると海外とは縁がなさそうだが、中学生を迎えるとその価値観が一変する。きっかけは友人と体験した、アメリカでのショートステイだった。

「アメリカに行ってまず感じたのは、人同士の距離が近いということです。たとえば日本の学校では『先生の言うことは絶対』というようなイメージがありますけど、アメリカではいい意味で先生との距離が近いんですよ。学校に限らず、町の方々が気軽に話しかけてくれる温かさもありましたね。個々の意見を受け入れ、どこか背中を押されるようなポジティブな雰囲気も満ちていて、そんなアメリカが大好きになっていきました」

帰国した猿田さんの胸に「将来はアメリカで働きたい」と言う思いが湧きあがる。そんな時に進むべき道を示したのが、深夜のテレビ番組で流れたチアリーダーの映像だったという。初めてチアリーダーを目にした瞬間、テレビの前に釘付けになった。

論理と言うより直感。それほどに鮮烈な出会いだった

「不思議ですよね。NFLのチアリーダーを見た瞬間、『私もこうなりたい』と直感的に思ったんです」

テレビに映っていたのは、ダイナミックなダンスと弾ける笑顔、迫力満点のダンスでチームを鼓舞するチアリーダーの姿だった。チアとは何かも知らない中だったが、その姿は猿田さんの脳裏に鮮明に焼き付いた。

「じつは私はあまり自分を表現できない、どちらかと言うと控えめなタイプで。だからダンスが好きでも、自分の個性を表現するダンサーは向いていないと思っていました。チアリーダーはもちろん踊りで表現しますけど、誰かを応援するために踊っている。その姿を見て、自分が目指す理想に近いと感じたのかもしれません。テレビを見終わった後、父に『これになりたい!』と伝えにいったくらいでした(笑)」

それからチアリーダーについて調べると、アメリカでは慈善事業も仕事の一環であり、女性のロールモデルであることを知る。好きなことを通して人の助けになりたいと思っていた猿田さんにとって、願ってもみないことだった。

知れば知るほど、自分の目指す姿とNFLチアリーダーが重なっていく――。直感が確信に変わり、NFLのチアリーダーを目指すことを決めた。

(第2回に続く)

取材・文/森本雄大
写真提供/猿田彩