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デビューイヤーに学生関東王者&全日本準V。ボディビル界にニュースター誕生【刈川啓志郎君インタビュー①:GKB応援団】




学生ボディビル、通称・学ボを盛り上げる連載「学ボ応援団(GKB応援団)」。今回は、ボディビルデビューイヤーながら関東学生ボディビル選手権で優勝し、全日本学生ボディビル選手権では2位入賞を果たした刈川啓志郎君(学習院大学2年)にインタビュー。第1回は、今年の学生選手権を振り返ってもらった。

宇佐美さんと一騎打ちだと思っていた

――関東学生ボディビル選手権大会では優勝、続く全日本学生ボディビル選手権大会では2位でした。まずは大会を振り返っての感想を教えてください。

刈川 関東学生は僕の中で80~90%くらいの状態で臨めたなと感じています。水分調整を失敗して、大会当日は決勝審査の前に脱水症状になってしまい「フリーポーズのステージに立てないかも……」という状態になってしまいした。それがなければ自分の出せる力は全部出せていたと思います。ただ、それで脱水症状がちょっと怖くなってしまい、1週間後の全日本では当日もかなり水を摂ったので、実は関東と全日本で1kgも体重が違ったんです。正直なところ、全日本はあまりコンディションが良くなくて50%くらいだったので、そこは反省点だと思います。

――それでも関東優勝、全日本2位は立派です。全日本の表彰式では涙を見せる場面もありましたね。

刈川 自分よりひとつ上に台があったのがかなり悔しくて、良くないと思いながらも泣いてしまいましたね。僕は結果主義なところがあるんです。結局、過程は人それぞれ違って、努力の質や量も違うと思うので、見える結果を大事にしたいと思っています。そうなると2位というのはとても悔しかったですね。

――優勝した宇佐美一歩君(阪南大学4年)とはコミュニケーションをとることはありましたか。

刈川 宇佐美さんは会場入りしたときに半袖シャツを着ていたのですが、そこから見える腕がもうパンパンですごくて。「どんなトレーニングしてるんですか?」みたいな話はちょっとしましたけど、そこまで多くは話してないですね。やっぱり、全日本学生は宇佐美さんと一騎打ちだと思っていたので、ステージ上ではバチバチ感を出したほうがいいかなと思って。

全日本では宇佐美君にあと一歩及ばず2位となった(左が刈川君)

家族の支えもあり堂々のボディビルデビュー

――関東学生では本命不在の中、圧巻の成績で優勝をはたしましたが、事前に刈川君の名前を知る人は決して多くなかったと思います。大会は今年デビューなんですよね?

刈川 はい、8月のマッスルゲート東京ベイ大会がボディビルデビュー戦でした。10月の全日本学生に照準を合わせていたので、その約1ヶ月前に自分の体がどういう感じで絞れているかの現状を見るためと、それまで大会に出場したことがなかったので、マッスルゲートは雰囲気を体感するためにも参加を決めたという感じです。

――デビュー戦では、新人の部と75kg以下級で優勝し、「あれは誰だ?」みたいな声も聞かれました。それまで大会に出場していなかった理由はありますか。

刈川 もともと大学1年生の時に大会に出ようと思っていたんです。僕は福岡出身で、1年間の浪人生活を経て大学に入ってから1人暮らしを始めたのですが、去年は一時期、全身にじんましんが出るような状態になってしまって……。「これはダメだ」と思って実家に帰ったんです。そうしたら何もしていないのにすぐに治ったので、多分ストレスが原因だったと思うのですが、とても大会に出られる状態ではなかったので出場は断念しました。

初出場のマッスルゲート東京ベイでは2クラス優勝をはたした(中央が刈川君)

――去年の時点で大会を見据えてトレーニングは積んでいたと思いますが、そもそもトレーニングはいつから始めたのですか。

刈川 中学でサッカー部に所属していたのですが、顧問の先生が補強として体づくりにも注目していて、朝練で体幹トレーニングをやったり、雨の日はみんなで筋トレしたりしていました。そういう土台もありつつ、本格的にトレーニングを始めたのは、高校1年生の終わりくらいにヒザをケガしてからです。リハビリの先生がトレーニングをしている方で、「大きくしたいならこうだよ」と、いろいろ教えていただいてからは、しっかり考えてトレーニングするようになりました。浪人期間も、勉強の傍らトレーニングは続けていましたね。

――大会では、ご家族が応援に駆けつけている姿も目にしました。トレーニングやボディビルをやることを心配されたりすることはありませんでしたか。

刈川 両親はもともと「好きなことをやったらいい」という感じなので、トレーニングを始めた時からずっと応援してくれています。両親は仕事の関係で全日本学生は来られませんでしたが、関東は来てくれましたし、姉は両方に来てくれました。「トレーニングを始めるよ」と最初に伝えた時も「がんばれ」と言って、食事を変えてくれたり。その頃はすでに姉が東京に行っていたのと、父は仕事が忙しかったので、食事は僕と母親の二人三脚でがんばりました。

★第2回ではトレーニングをより深堀していく

取材・文/シュー・ハヤシ
写真/木村雄大