『25歳・プロレスラー×教師』が語る夢への道のり きっかけは“教育の一環”で出会ったプロレス




『観る』プロレスから『やる』プロレスへ

5年生の頃になると、プロレスは『観る』ものから『やる』ものへ変わっていった。小学校の卒業文集には『プロレスラー』を将来の夢として記している。しかし、クラスでも決して目立つほうではなかった晴斗希少年を級友たちは嘲笑った。

しかし少年の意志は揺るがなかった。この時すでに、夢を夢で終わらせないために動き始めていたのである。プロレス通いを続けていく中、そこで見つけた友だちとともに、プロレス団体が主宰するプロレス塾に週2回通い初めていたのである。

「まあ、小学生なんで痛くない、受け身中心のものなんですけど」

そして中学に進むと、学校の部活には入らず、ボクシングも習い始めた。

「中学生なんでスパーリングとかはナシだったんですけど。でもやっぱり僕には向かないと言うか。やっぱりプロレスだなって」

ボクシングは3年間続けたが、自分の目指すプロレスとは違うと、それきりとなった。彼の目指すところは、アクロバティックな空中戦が売りのメキシコで修行を積んだという憧れのレスラー・ツバサに近づくことだった。その技を身に着けようと、彼が選んだのは器械体操だった。しかし、それを部活として採用している高校は多くない。晴斗希は、この競技に力を入れているという私学の初芝立命館高校を進学先として選んだ。と言っても、それまで競技経験のない晴斗希が推薦入学などできるはずもない。プロレスラーになるために器械体操をやる、その思いだけで晴斗希は塾通いを初め、見事合格を勝ち取った。

しかし、いざ入学してみると、『力を入れている』はずの器械体操部には1つ上の先輩はいなかった。新入部員は3人。新入部員と入れ替わるように3年生は受験勉強のため引退してしまう。そのうち、同級生も辞めてしまい、晴斗希はいきなりキャプテンとなってしまう。それでも、ひとりエースとして2年と数か月、高校まで未経験というハンデをもろともせず、地域大会で入賞をはたすなど、彼は立命館初芝高校器械体操部を支えた。現在、母校の器械体操部は大阪でも強豪のひとつに数えられるようになっているが、これは彼のおかげだと顧問教師も太鼓判を押す。

そこまで突き詰めた器械体操だったが、これも彼にとってはプロレラーになるという夢を叶える手段にしか過ぎなかった。

(後編に続く)

取材・文・写真/阿佐智