「私」とは何か?
――現在、研究界では筋肉のことはどのくらいわかってきているのでしょうか。
石井 何かがわかったというのは青天井なんですよね。100%わかるということは実際にはあり得ないんじゃないかと思っていて。わかればわかるほど、わからないことが出てくる。半分くらいなんとかわかってきたかなという感じではありますけど、あと半分追いかけると、その倍ぐらい逃げていくみたいな。そんなような感じかもしれないですね。
――『最後の講義』と題されたシンポジウムの中で、先生は「研究の結果」を楽しむことが大切と語っておられましたね。
石井 それがないと続かないと思いますね。ある種の目論見みたいなものがあって、この結果を出さなければダメだみたいな感じだと、たぶん続かない。予定通りにいかなくて当たり前、予定通りにいかないことが楽しい、というくらいのスタンスでいかないと。予測できることは誰でも予測できるので、むしろ予測できない結果になってしまったことが面白いという発想が必要なのかなという気がします。失敗することを楽しむみたいな。
――そういった考えは、もともと持っていたのですか?
石井 どうでしょう……たぶんそうなんでしょうね。ボディビルの大会でも負けることが飛躍のきっかけになった気がするんですよね。経歴だけ見ると順調な感じですけど、要所要所で僕は負けているんですよね。でも負けてることがすごくプラスになっている。もちろん、へこむことはへこむんですけど、それがまた次のモチベーションにつながり、一歩自分の殻の外に出るようなきっかけになった。ある種、叩かれ強いと言うか、へこたれにくい性格なのかもしれないですね。それが研究面でも活きていて、100回失敗しても1回成功すればいいという感じでやれてきたのかもしれない(笑)。
――人が無理と思うことに挑むのが性に合っている、ともおっしゃっていました。
石井 人ができることをやっても同じですのでね。無理だと思われていることにチャレンジするのは、すごく楽しいですね。
――最後に、長年にわたって人間の筋肉を見つめてきて、2度のがん罹患という経験もされた先生の死生観とはどのようなものなのでしょうか。
石井 生理学の研究をやってきたのでね。死生観そのものというより、人間の体をどういうふうに見るかという身体論みたいなことですかね。身体と精神を切り離して考えたり、身体は脳にある自分を生きさせる手段みたいな見方があったり、いろいろな考え方があると思います。僕は自分で筋肉を鍛えながら、筋肉が体の中ではたす役割みたいなことを勉強したり研究したりしてきた結果として、人の体は切り離しできるものではなくて、全部が協調して働いて自分というものがあるという感覚になっています。よくSFなどで死後も自我を生き延びさせるために脳だけ切り離してきて培養すればいいという発想もありますけど、きっとそうじゃなくて、脳に筋肉がつながり、骨がつながり、内臓がつながることによって自分というものが出来上がっていて、どれも切り離せない。「私」がここにいるのではなく、全身が自分自身である。そういった考え方を持つようになってきています。医学で言うと「ホリスティック医学」と言うのかな。全身が全身として協調的に機能していることこそ生きていることであると。わりとそれに近いですかね。なので、全身がしっかり元気でいることが、精神が元気でいることにつながる。そういう感覚になっています。
――そうしたお考えは、病気の体験とも関係していますか。
石井 病気とは関係ないと思いますね。生理学を研究していく上で、だんだんそういう考えに寄っていったのではないかと。先ほどの仕事に対する考え方とか、人ができないことにチャレンジする考え方というのも、ひょっとしたら生まれつき備わっていたわけではなくて、筋トレで体を鍛えるようになって、それが精神にも影響を及ぼして形づくられてきたのではないかなという気もしますね。体を鍛えることが人間の性格を変えるというのも実感としてありますし、東大の後輩にも体を鍛えたら人が変わってしまったような学生もいますしね。もちろん脳、筋肉、骨という個別の役割はあるわけですけれども、身体はいろいろな相互作用をしていて、その結果、自分の本質ができてくる。生理学的な仕組みは解明されてはいませんけど、それはたぶん確かなのではないかと思いますね。
◆インタビュー前編「二度のがんから生還。病室で筋トレを続けた理由とは?」はこちら(記事/動画)
◆本記事のインタビュー完全版【動画】は以下より
石井直方(いしい・なおかた)
1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学院博士課程修了。東京大学名誉教授(運動生理学、トレーニング科学)、理学博士。力学的環境に対する骨格筋の適応のメカニズム、およびその応用としてのレジスタンストレーニングの方法論、健康や老化防止などについて研究している。日本随一の”筋肉博士”としてテレビ番組や雑誌でも活躍。著書は「筋肉まるわかり大辞典」「トレーニング・メソッド」「トレーニングのヒント」(小社)、「一生太らない体のつくり方」(エクスナレッジ)、「体脂肪が落ちるトレーニング」(高橋書店)など多数。ボディビル・ミスター日本優勝(81・83年)、IFBBミスターアジア優勝(82年)、NABBA世界選手権3位(81年)。
石井直方研究室HP
インタビュー/本島燈家