“修斗のカリスマ” 佐藤ルミナの現在地【ミドルエイジの挑戦#1】




40~50代は、残りの人生の指針が決まる大事な時期でもある。自分らしく生きたいと思いながらも、一歩を踏み出す勇気を持てず、悶々と将来への不安を抱えている人も多いだろう。そんなミドルエイジたちの指標となる“輝く40~50代”を紹介する当連載。初回は、格闘技の枠を越えたカリスマとして一世を風靡した佐藤ルミナさんのライフスタイルに迫る。

本当の意味でモチベーションがあったのは——

【フォト】カリスマと呼ばれた男の波乗りショット

現在では世界各地で当たり前のように行なわれているMMA(総合格闘技)だが、競技の歴史はそれほど長くない。初代タイガーマスクの佐山聡が1980年代半ばに提唱したものの、当時は前例のない格闘技に興味を示す者は少なかった。

「まったく世間から注目されていませんでした。でもパンチだけとか限定されたものではなく、投げたり関節も極めたりと何でもできる修斗の存在を知った時に自分は『これだ!』と思ったんです。昔から人と変わったことをやるのが好きなところはありましたし、『これは流行りそうだ』とか可能性のあるものを見つけるのが好きなのかもしれないですね」

当時の会場は閑古鳥が鳴く状況が続いていたが、ルミナさんがプロデビュー後に破竹の快進撃(1つの引き分けを挟み、12連続での一本&KO勝ち)を重ねると、それと並行するように未知なる格闘技の注目度は急速にあがっていった。アグレッシブなファイトスタイルだけではなく鍛え上げられた肉体と端正なルックスも相まって、ルミナさんのみならずMMAの認知度も急上昇。ファッション誌の表紙にも起用されるなど、若者のカルチャーとしての地位を築き上げていった。

しかしながら運命は時に残酷で、修斗という競技を世に広めながら、自らが追い求めた世界王座は一度も獲得することができなかった。おそらく100人中99人が戴冠を予想した1999年5月の宇野薫とのウェルター級王座決定戦は、まさかの一本負け。満を持して臨んだ二度目のタイトルマッチも、宇野の前にわずか2分でKO負けを喫してしまった。

「今考えたら二度目の宇野君との試合までですね、本当の意味でモチベーションがあったのは。以降は惰性と言うか、立場上やらないといけないという感じでした。もう少し修斗を盛り上げてから辞めたほうがいいかなとか、プロモーターには世話になっていたので出場したほうがいいかなとか。自分が出ると、そこそこチケットが売れていましたからね。そんな『獲れたら獲りたいな』と思っている選手が、喉から手が出るくらいベルトがほしいと思っている若い選手に勝てるわけがないですよね」

◆自然と融合するライフスタイル