マイアミの奇跡の立役者を支えるトレーニング理論【ミドルエイジの挑戦/伊東輝悦#1】




「マイアミ? 勝ってよかったなとは思いますけど、そこまでではない(笑)」

——1995年、西野朗U-22代表監督(当時)にボランチへのコンバートを促された時も、フィジカル面のアプローチは変わらなかったですか。

「やる競技が変わるわけではないし、同じサッカーという競技をやるだけですからね。ポジションが変わることで多少役割は変わるんですけど、大きく違うことをやるわけではないので筋トレを増やしたとか、そういうのはなかったです。それこそセンターバックくらいじゃないですか、多少の体の強さが求められるのは。それ以外のポジションは、いろんなタイプがいると思います」

——伊東選手と言えば、何と言っても1996年のアトランタ五輪です。初戦のブラジル戦で決勝ゴールを決めて、いわゆる“マイアミの奇跡”の立役者となりました。ただ、お話を聞く限り、そこでも対外国人選手というものは特別意識してなさそうですね。

「もちろん技術的にはすげぇなと思いましたけど、フィジカルの面では別に何も思わなかったです。もともと強いだろうと思っていましたし、驚くようなことはなかったです」

——人生が変わった一戦だと思いますが、伊東選手からはそのような感情が一切伝わってきません(笑)。

「まったく変わってないですよ(笑)。まわりの人が言うほどではないです」

——ワールドカップ未出場の国が世界最強と目されていたブラジルに勝った伝説の一戦ですが、伊東選手にかかれば数ある試合の中の一つという位置づけですか。

「勝ってよかったなとは思いますけど、そこまでではないんじゃないですかね(笑)」(#2に続く

取材・文・写真/松浦俊秀

アスルクラロ沼津オフィシャルサイト

伊東輝悦(いとう・てるよし)
1974年8月31日、静岡県出身。168㎝。70㎏。アスルクラロ沼津所属。1993年に清水エスパルスに加入。1994年6月11日のJリーグ第21節、ガンバ大阪戦でプロ初出場を記録。1996年にはアトランタ五輪に出場し、初戦のブラジル戦で決勝ゴールを決めマイアミの奇跡の立役者となる。2007年11月11日、藤田俊哉に続き史上2人目となるJ1通算400試合出場を、2008年5月11日にはJリーグ通算最多出場となる415試合出場を、2009年6月27日にはJ1史上初となる450試合出場を達成する。ワールドカップ・フランス大会日本代表。国際Aマッチ通算27試合出場。前所属チーム/清水FC、袖師中、東海大一高、清水エスパルス、ヴァンフォーレ甲府、AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田

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