室伏広治のような超人を目指して 「運動神経を極めたい」思いからジム入会、覚悟を決めてボディビルの道へ【椎名拓也#2】




千葉県の田舎町・旭市出身の椎名拓也は、23歳にして2022年に千葉県、関東、東日本と、一般部のボディビル選手権を次々と制覇。3大会すべて史上最年少の戴冠、さらに3冠は史上初の快挙だ。23歳以下の日本ジュニアボディビル選手権でも2021年に2位、2022年は3位と上位を争っており、将来を嘱望されるボディビルダーの一人である。

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高校生時代から一日一日のトレーニングで燃え尽きる

本格的にトレーニングをはじめたのは高校生の頃。さまざまなスポーツをかじってきた中で、当時流行っていたアニメ『黒子のバスケ』に魅了されてバスケットボール部に入部したものの、1年で退部したのがきっかけだった。

「ジムに通い出したのは、運動神経を極めたいというか…何でもできる超人になりたくて。武井壮さんや室伏広治さんに憧れていました」

それまでは、いろいろなスポーツに興味を持って習い事としてやってみるものの長くは続かず、「飽き性」が出てしまっていたが、いざジムに入会すると、トレーニングにぐいぐいとのめり込んでいくことになる。「何十セットもやっていると急に力が入らなくなり、筋肉がストップをかけるときがあるので、日々のトレーニングはそこまでやって終わり。一日一日、燃え尽きるのを目指していました」と、そのハードさゆえ、肉体はあっという間に変わっていった。とはいえ、葛藤がなかったわけではない。

「他のスポーツもやりたい気持ちがなかなか抜けず…。ボディビル一本でいくのか、他のスポーツもやるのか。ただ、ボディビルで勝ち上がるには一本でいかないと勝てないとわかってきたので、きっぱりとこの道に決めました」

ボディビルの道に進む決意をした彼は、「スポーツGYMドリーム」の門戸を叩き、本格的にポージングを習うことに。当時のオーナーは、自身も千葉県選手権優勝などの実績を持つ故・成田晴夫氏。「家族よりも会長と過ごす時間のほうが長かった」という間柄の中で鍛錬を積み、デビュー戦となった2016年の全国高校生ボディビル選手権では5位入賞。ちなみに、その年の高校王者となったのは、現日本チャンピオンの相澤隼人であった。

2016年の高校選手権でボディビルデビュー

大学生になるとよりトレーニング熱は加速し、大学1年生の2018年には千葉県選手権で準優勝。トップビルダーへの道が開かれていったが、翌年5月には成田氏が病で逝去するという事態に。その年に開催された千葉県選手権には優勝候補として臨むものの、3位と順位を落とす結果になってしまった。

「もう絶望的で、相当落ち込みましたね。会長のためにも絶対に優勝したいと、いろんな思いがあっての負けだったのでとにかく悔しくて。でも、応援にきてくれた仲間の方たちに励まされながら、また立ち上がっていきました」

そうした挫折を経て、冒頭の通り2021年はジュニア選手権2位、2022年は3冠を達成。さらに2023年はジュラシックカップ3位と、日本トップレベルのボディビルダーと肩を並べるほどに己を磨いていったのであった。さらにそれと並行して、成田氏の死後、運営を任されていた「スポーツGYMドリーム」のオーナーに2023年から正式に就任。24歳にして、亡き会長の思いを継ぎ、ジムに集まる町の人々を守り、背中を見せていく立場になったのであった。

(続く)

【PROFILE】
椎名拓也(しいな・たくや)
1999年3月24日生、千葉県旭市出身。千葉県ボディビル・フィットネス連盟理事、スポーツGYMドリーム(千葉県山武郡横芝光町)のオーナーを務める。2016年の高校生選手権でボディビルデビュー。YouTubeチャンネル「美椎名(うつくしいな)」を運営中。

▼主な戦績
2016年 全国高校生ボディビル選手権 5位
2021年 日本ジュニアボディビル選手権 2位、マッスルゲート静岡大会 ボディビルジュニア&75kg以下級 優勝、クラシックフィジーク175cm以下級 優勝
2022年 千葉県ボディビル選手権 優勝、東日本ボディビル選手権 優勝、関東ボディビル選手権 優勝
2023年 ジュラシックカップ 3位&合戸賞獲得

取材・文/木村雄大