ドクターストップで夢破れた元AKB候補生がセカンドキャリアで輝くまで【バーテンダー・小栗絵里加(前編)】




『Bar Algernon Sinfonia』のオーナーバーテンダーを務める小栗絵里加さん。筋トレをこよなく愛するトレーニーでもある彼女は、当時アイドルを目指して活動していた。その歩みは書籍『アイドル、やめました。 AKB48のセカンドキャリア』で紹介されるほどであり、バーテンダーに転身するまでは波乱万丈の人生があったのだ。

【トーク動画】北海道からアイドルを目指し上京 小栗さんが激動の人生を振り返る

個性を模索したアイドル時代

「幼少期から人前に出て、何かを披露することがすごく多かったと思います。やるって決めたらとことんやるタイプでした」

地元・北海道では幼少期から数々の習い事に取り組んだ小栗さん。ピアノにクラシックバレエ、バイオリンなどチャレンジする中、一番ハマったのはクラシックバレエだった。「人前で何かを表現する」ということがキーワードだった彼女は、音楽大学在学時にスカウトを受ける。それがきっかけで上京を決め、アイドルを目指す日々が始まった。

「当時はアイドル戦国時代と言われるほどアイドル人気があって、かわいいだけの子はいくらでもいる状況でした。売れるためなら何でもやる精神でしたね」

低身長を武器に“日本最小アイドル”として個性をアピール

セルフプロデュースを“スキマ産業”だと語る彼女は、バイオリンが弾けることや低身長など、持っている武器すべてを強みに変えようと工夫した。“自称日本最小アイドル”と名乗ってみるなど、自分にしかない個性を見出すことに必死だった。

「それこそカバンに入ったり、ゴミ袋に入ったりしていました。マルチなタレントを目標にしていたので、芸人さんばりのこともできないとバラエティで使ってもらえないかもと思って何でもやりましたね」

小栗さんのストイックさを象徴するエピソードがある。グラビアで水着撮影に臨む際、まず考えたのがボディメイクの必要性だったそうだ。

「人前に体をさらすなら『恥ずかしい体型で出ちゃいけない』って思って。グラビアをやるためにジムに行かなきゃと思って、ゴールドジムに通い始めたんですよ」

これが今に通じるトレーニングとの出会いだった。

アイドルの厳しいお財布事情

アイドルを目指す日々は充実していたものの、とにかくお金に困った。当時、一番月収が良かった月で稼ぎは15万円ほど。都内で一人暮らしをするためには、芸能関係の仕事だけでは生活ができなかった。

「それで、時間の融通が利きやすいバーのアルバイトを始めました。面接では『アイドルのお仕事をやりたいので、シフトで迷惑をかけてしまうかもしれないです』と伝えましたね。お店からは『昼も夜も働けますね?』って言われて、『働きます!』って答えました(笑)。迷惑をかけてしまうのはわかっていましたし、働き口を見つけるので必死でした」

勤勉な小栗さんは、社員並の仕事をこなす“できるバイト”だった。加えてその頃、秋葉原のAKB劇場に併設されたカフェスペース『48’S Café』で働いており、そこでも『店長』というあだ名がつくほどよく働いた。AKB候補生としてまず顔を覚えてもらうことが、アイドルへの第一歩になると考えたからだ。

「同期に元AKB48の篠田麻里子さんがいて、一緒にアイドルの夢を追いかけていました。彼女がAKBの1期生に決まった時はすごくうれしい反面、『取り残されてしまう』っていう焦りがありました。彼女の背中を追いかけたい気持ちもあって、AKBの2期生オーディションを受けました」

勝負をかけたオーディションになったものの、結果は無残にも一次審査落ち。メンタル的なダメージも大きかった。

「がんばる方向性を間違えたのかなって思って、すごく落ち込みました。なんで落ちたんだろうって頭の中を考えがぐるぐるしたんですけど、ここで引きずっても仕方ないと思って、事務所を変えて再スタートを切りました」

舞台稽古やパチスロアイドルなどの仕事に精を出す一方で、バーでのバイトもしっかりこなした。睡眠時間を削りつつ充実した日々を送るも、体はすでに悲鳴を上げていた。

「寝る時間を削れば何でもできる。もっといろいろなことに挑戦したいと思っていた矢先だったので、倒れた時は頭が真っ白でした。自分もう歳なのかなって。入院してベッドから動けなくなって、生活費どうしようとか考えていました」

ドクターストップに打ちひしがれる小栗さんだったが、このトラブルが新たなキャリアのきっかけになった。

(後編に続く)

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