アントニオ猪木、空腹を救った大量のニンジン 極貧アメリカ修行で学んだ“食の力”




プロレス解説者の柴田惣一さんが、実体験をもとに数々のエピソードを紹介していく連載「柴田惣一のよもやま話」。今回はアントニオ猪木がアメリカで体験した、食にまつわるエピソードを紹介する。

【写真】昭和プロレス界のハードトレーニング

プロレスラーと言えばエビスコ(大相撲の隠語で大食漢)。昨今は栄養補助食品やサプリメントも充実し、栄養学なども研究が進み、体作りも科学的な方法も取り入れられている。

以前ほど「食べろ、食べろ」とは言われなくなったようだが、昭和の時代には「立って食べろ」「とにかく食べろ」「いくらでも食べろ」「食べるのがトレーニング」……食品から栄養を取り入れることを勧める言葉が、プロレス道場に飛び交っていた。

「食べたもので体は作られるんだ!いいから食べろ!」。練習より食事がきつかったと振り返る選手も多い。

「日本プロレスの父」力道山が大相撲出身とあって、日本プロレス時代からプロレス界は、さまざまなところで大相撲の流儀が取り入れられていた。

道場で合同練習後には「ちゃんこ」である。大量の食材を使い、大鍋で煮込む。当初はちゃんこ番は交代制だが、どうしても味付けの上手い下手が出てくる。いつの間にか当番が決まっていくのが常だった。

ちゃんこ番は準備があるため、厳しいトレーニングを途中で抜けられる。そのために料理の腕を磨いた者もいたとか、いないとか。

レスラーの食事と言えば大量の食事だが、選手それぞれが独特のこだわりを持っていた。

食通で知られたアントニオ猪木は「好き嫌いはない」と胸を張っていた。実際、日本各地どころか世界中の地のモノ、旬のモノを食べ歩いていた。まさに食通で、晩年には「どこそこのアレがいける」と評判を耳にすると、飛行機にタクシーを乗り継いで、労をいとわず全国各地を訪れ、それを食べるためだけに出かけていくほどだった。

みんなでワイワイとテーブルを囲むのも好きで、本人も食しながら、みんなの「美味しい、美味しい」の声を聞くのも楽しんでいた。

食道楽だったが、若いころ修行中には、いろいろと大変だったらしい。お金もなく、どうすれば体を大きくできるか? いろいろと考えたという。

アメリカ修行中のこと。ギャラも安く、ホテル代や移動費も自分持ちだった。手元にはお金がない。なけなしのお金をかき集めても、とてもレストランに入ることはできない。でもお腹がすいて眠れなかった。

フラフラと近所のスーパーマーケットに入った。ニンジンがその日の特売だった。アメリカである。日本のひと袋とはケタ違い。大きな袋いっぱい、山ほどのニンジンを抱えてホテルに戻った。

フロントでジューサーを借り、部屋でニンジンをジュースにして飲んだという。何杯も何杯も飲み、何とかお腹がふくれた。これで眠れると思ったそうだ。

ところが、すっかり目がさえてしまったという。今度は元気になりすぎて眠れない。ニンジンしか摂取していないのに、次の日の試合でも大暴れしたそうだ。

「元気があれば、ニンジンも食べられる」ではなく「ニンジンを食べたから元気になった」と、ニンジンのパワーを痛感した。

ニンジン嫌いの人もいるだろう。子ども時代はともかく大人になっても、何とかなった人も、ならなかった人もいるのではないか。

ニンジンを食べるように、親から「お馬さんを見てごらん。あんなに大きなお馬さんが、あんなに早く走れるのはニンジンが大好物だからなんだよ」と言われた人もいるはず。馬は走る、猪木は元気になる…恐るべし、ニンジンパワー。これはもう「迷わず食べろよ」である。

現代では子どもの好みに合わせ、改良して甘いニンジンもあるという。ブドウ糖やハチミツを注射する場合もあるそうだ。しかし、敬遠する子どももいまだに多い。

デパートやスーパーの屋上でトークショーが時おり開催され、猪木も参加していた。ある日の質問コーナーで「子どもの好き嫌いを直すにはどうしたら良いでしょうか。ニンジンやピーマンなどを食べないから困る」というお母さんに、ニンジンエピソードを披露し「好き嫌いするとプロレスラーみたいに強くなれないぞ。何でもモリモリ食べないとね。フフッ」と闘魂アドバイスしていた。

猪木から元気を分けてもらった人は多い。亡くなってからも猪木展などイベントが全国で開催されており、いまだ闘魂パワーは衰えない。その源のひとつはニンジンだった。(敬称略)