「メスを入れたらレスラーには戻れない」蝶野正洋も直面した腰痛との闘い




プロレス解説者の柴田惣一さんが、実体験をもとに数々のエピソードを紹介していく連載「柴田惣一のよもやま話」。今回は、闘いとは切っても切れない「腰痛」についての逸話を紹介する。

【写真】筆者と一枚の写真に納まる蝶野正洋

ズキズキする。ドヨーンと痛む。ピリピリと電気が走る……痛み方も人それぞれ。

一般人も苦しむ腰痛だがレスラーも「腰痛持ち」は多い。受け身を取るのが商売なのだから、職業病の最たるもの。「体の要」腰に何の不安もないという選手がいるとしたら、もはや奇跡と言ってもいいのではないか。

シップ、痛み止め、塗り薬…残念ながら特効薬とはいかない。整体、マッサージ、鍼灸、神経へのブロック注射……さまざまな治療法はあるが、一時的に痛みが治まっても、なかなか完治とはいかないのが現実だろう。

元から絶たなきゃダメ、とばかり手術という手段もある。日常生活を取り戻したい一般人ならともかく、体を痛めつけるレスラーにとっては不安も大きい。「メスを入れたら、レスラーには戻れない」と口にする者が多い。選手にとっては最終手段と言っていいのが手術だろう。

闘魂三銃士から「黒の総帥」として一時代を築き上げた蝶野正洋は、多くの治療を試した上で、腰痛から逃れなくなり、事実上、レスラーとしては開店休業状態だった。文化人とばかり、イベントや講演に登場し、タレントばりの活動をしていた。

ところが、現役時代の無理がたたって、2018年頃から痛みは耐えきれなくなり、杖なしで歩くこともできない。痛みとしびれにさいなまれ、横にはなっていても睡眠時間は1、2時間。「もはや、どうにもならなくなっていた。いい先生に巡り合えて、内視鏡手術に踏み切った」と振り返る。

痛みが限界にきていたのに加えて、すでにレスラー復帰は難しいと「闘いからの卒業」やむなしと決断していた。だから手術に踏み切れたのだろう。内視鏡手術なら順調にいけば、ミラクル復帰も決して夢ではないかもしれない。

2021年の秋に腰の脊柱管狭窄症、椎間板ヘルニアの内視鏡手術を受けた。骨を削り、つぶれてしまっていた腰椎の間隔を空けることに成功。リハビリを経て、今では日常生活にはほとんど支障がなくなっている。

「レスラーからの卒業」を覚悟して、手術に臨んだ蝶野は腰痛との闘いに勝利。様々な場面で活躍する姿に、18年の私の還暦パーティーに駆けつけてくれたコトを思い出す。

サプライズゲストとあって、宴が始まってから登場してもらったのだが、待機中にアテンドした友人が「『蝶野です』と挨拶してくれたんだけど、蚊の鳴くような声だった。イスに座り込んで辛そうだったのに、人前に出たとたん背筋もピンと伸び『ガッテム、アイアムチョーノ!』と、いつもの蝶野節。さすがだよね」と驚いていた。

今思えば、腰痛とのバトルに突入したころだったのだ。顔を合わせれば「柴田さん、まだがんばっているの」と声を掛けてくる。「まだまだ、やるよ」と応じ、笑い合うパターンが蝶野との定番となっている。テレビ放送席でその試合を解説した蝶野と、席を並べて新たな選手たちのファイトを、ああだこうだと語り合ったのも、良き思い出のひとつ。今度会ったら、腰痛持ちでは先輩の蝶野に腰痛対策を聞いてみたい。

手術で腰痛を克服したのが蝶野なら、試合中に腰痛を退治してしまったのは西村修だ。大日本プロレスの「最侠タッグリーグ戦」に参戦した際のコトだ。

パワーファイターの関本大介、岡林裕二組との対戦。関本のバックドロップを食らって、腰に大ダメージを負った。元より腰は悪いとあって、試合を続けながら「これ、やばいな」と不安が膨らんでいく。

そこへ岡林にアルゼンチンバックブリーカーでかかえ上げられてしまった。ユサユサと揺さぶられると、あら不思議。「もちろん大変だったんですが、腰が伸びて、楽になったんです」と、笑い飛ばしていた。

人生いろいろ、腰痛もいろいろ。レスラーの職業病でもある腰痛との付き合い方もさまざまあるようだ。(敬称略)