レスラー人生と腰痛 御年72歳・藤波辰爾が向き合った悩ましき痛み「ソファーから一歩も動けなかった」




プロレス解説者の柴田惣一さんが、実体験をもとに数々のエピソードを紹介していく連載「柴田惣一のよもやま話」。前回に引き続き、プロレスラーの職業病とも言える「腰痛」についての逸話を紹介する。

72歳になった「炎の飛龍」藤波辰爾も長年、腰痛と闘っている。先のデビュー55周年記念イヤー第一弾大会「NEVER GIVE UP 2026 PHASE-1」(ドラディション・5月22日、東京・後楽園ホール)に出陣し、敗れたとはいえ28歳の成田蓮(新日本プロレス)と渡り合ったのだから、大したものだ。

まだまだやれる。藤波本人が誰よりも実感したはず。元より55年の間には栄光もあれば辛苦の時もあった。スター選手として恵まれたレスラー人生を送ったが、欠場に追い込まれたことも何度もあった。リングに上がれないのは戦士として、これ以上、辛いことはない。藤波の場合は、その要因はほとんどレスラーの職業病といっていい腰痛との闘いだった。

【写真】生涯現役を貫くレジェンド・藤波辰爾の闘いの日々

新日本プロレスの道場には大びんに入ったサロメチールが常備されていた。木製のヘラですくって腰に塗る様子を当たり前のように見かけた。藤波に限らず、腰痛に苦しむ選手が新日本戦士の大半だった。

体の中心であり要である腰を酷使するのがプロレス。レスラーの第一歩として体力アップはもちろんだが、受け身が必須。前受け身、横受け身、後ろ受け身…どんな態勢から投げられても受け身が取れなければ話にならない。

受け身で合格点をもらえなければ、デビューできない。優秀な成績で入門テストに合格しても、受け身のスキルでプロのレベルに達することが最優先される。

ただ、一回一回の受け身が腰を少しずつむしばんでいくのも事実。どんなに上手く受け身を取ろうとも、ダメージは蓄積していく。

藤波は他のスター選手同様「受け身がうまい」と評判だった。どんな攻撃を受けても、何とか受け身を取り立ち上がる。ファンの声援、拍手がプラスαの力を生み出し、無理もできてしまうのだ。

ジュニア戦士として、第一期黄金時代を築き上げた。日本マット界にジュニア戦を持ち込んだのは藤波と言っていい。ジュニアの体格にぴったりとはまり、スピード、テクニック、華麗な空中弾…ジュニア王座は藤波のために用意されたようなものだった。

ところが、初代タイガーマスクが登場。当初は一戦限りの予定だったが、アニメを超えんばかりの虎戦士の出現に、事態は急変。「ジュニアはタイガー」と誰もがとらえてしまった。

藤波にとっては誤算だった。ジュニア戦士のまま、レスラー人生を全うするというプランは変更を余儀なくされた。「ヘビー級に転向」は簡単なことではない。

体格に見合った適正体重が誰にでもある。過度なウエートアップは負担が大きい。とはいえ、ヘビー級でやっていくには、ウエートもパワーもスケールアップが必要不可欠。一発一発の技の破壊力も増し、当然のごとく受け身のダメージも大きくなる。

徐々にたまっていく腰への負担。それがとうとう大爆発してしまったのが、ビッグバン・ベイダーとの運命の一戦だった。藤波の2倍はあろうかというベイダーとのバトルの結果、藤波の腰は限界を超えてしまった。

あらゆる治療を試した。「OOのXXさんが効くらしい」と聞くや、全国どこへでも駆けつけた。腰によいと聞くものは何でも試した。

最後の手段である手術、メスを入れることは「プロレスができなくなる」と眼中になかった。内視鏡手術が普及するのはまだまだ先のことだった。

「ソファーから一歩も動けなかった」と振り返る。藤波の体型のままにソファーがへこんでしまったという。引退説が流れ、本人も口にしたこともある。年間250試合を超えていた時代だ。

普段は家にいないパパがいるとあって、まだ幼かった子どもは大ハシャギだった。ところが、まとわりついてくる子どもにイラつき、夫人に「早く寝かしつけろ」と怒鳴ってしまったという。ファミリーを大切にする藤波からは想像もつかない修羅場が当時は繰り広げられていた。

今現在も万全とはいえない藤波の腰事情だが、72歳になってもリングに上がっているのは、腰痛との闘いに勝利したからこそ。

ヘビー級に転向しなければ腰の爆弾は破裂しなかったかもしれない。だが、その腰の負傷があったからこそ、以後は人一倍体調に気をつけ、時にはセーブし、今でも現役でいられるのかも知れない。「人間万事塞翁が馬」。生涯現役を掲げる藤波のレスラー人生は続く。