プロレス解説者の柴田惣一さんが、実体験をもとに数々のエピソードを紹介していく連載「柴田惣一のよもやま話」。前回に引き続き、夏にまつわるプロレスラーの逸話を紹介する。
日本の夏、レスラーの夏。日本人選手はもちろんだが、高温多湿の独特の暑さには外国人選手も根をあげていた。
「超竜」スコット・ノートンもその一人。アームレスリングの世界チャンピオンからプロレス入りしたアスリートで190センチ、150キロの鍛えあげられた肉体は、まるで岩のようだった。
新日本プロレスには「獄門鬼」マサ斎藤のスカウトで登場。IWGPヘビー級王座を2回獲得するなど、1990年代、2000年代に外国人エースとして大活躍した。
師である斎藤のアドバイスに真摯に耳を傾け、着々と成長していく様子は外国人選手ながら頼もしい限りだった。
日本のファイトスタイルはもちろん、日本の食事や慣習なども学び、日本のファン気質をもすっかりつかみ取っていた。日本で大成功した外国人レスラーの一人となったが、日本通のノートンをしても、どうにもならなかったのが「日本の夏」である。
年間を通して色んな季節に来日していたが、夏のシリーズ時にはいつもと違っていた。汗をかきかき「クレイジー」とぼやいていた。
斎藤教室の優等生だったノートンも、日本の夏の暑さにはついつい愚痴も飛び出してしまう。「日本の夏はクレイジー! クレイジー! ノー!」斎藤から「確かにそうだが、どうにもならん。どうせ汗をかくなら、練習しろ」と、苦笑いされながらアドバイスされていた。
思えば80年代以前には、屋外特設リング大会がよく開催されていた。スーパーの屋上、駐車場や広場にリングが組み立てられた。昼間が多かったが、特設の照明設備も用意されており、ナイトゲームも当たり前の様にシリーズ中に組み込まれていたものだ。
緑豊かな広場や見通しの良い屋上会場に照明が輝く。夏といえば蚊など虫も元気いっぱいである。さんさんとするリングに虫が集まって来るのも自然の摂理だ。
虫対策も重要になる。殺虫剤がスプレーされ、蚊取り線香の香りが当たり一面を支配することもあった。
それでも夏の蚊は強い。汗をかいた選手に群がってくる。相手選手とのバトルに加え、蚊との闘いもし烈だった。タッグマッチでコーナーに控えている選手が「バシ、バシ」と体を叩いている。気合いを入れていると思いきや、蚊を退治していることもあった。
救急箱の中には、シップ、赤チン、痛み止め薬などと一緒に、虫刺され用のキンカンやサロメチールが常備されていた。
「レスラーは受け身を取るから皮膚が厚くて蚊に刺されない」と、まことしやかに囁かれたが、誰に聞いても「刺されますよ!」と、キッパリ断言されてしまった。
もっとも、辛いだけの夏ではない。夏の楽しみもたくさんある。東京・多摩川沿いにある新日本プロレス道場の昭和の夏は、レジャーランドのようでもあった。
多摩川の河川敷では日焼け、花火、スイカ割りなどヤングライオンたちが日々、ワイワイやっていた。

スイカ割りはただでさえ力自慢のレスラーがパワフルに棒切れなどを振り回すのだ。バラバラになってしまう。しかも練習でしごかれた憂さ晴らしもある。「コノヤロー」「○○のバカヤロー」などの怒号とともに、スイカが砕け散っていく。スイカ割りがストレス解消になっていたのは間違いない。
バラバラになってしまったスイカ。「川に流そう」となり、流れ行くスイカを拝んでいた。まるで精霊流しのような光景だった。
花火も打ち上げ花火を人に向けることなど普通のコト。今なら、パワハラ、モラハラと問題になる仕打ちが日常茶飯。
後始末も大変だ。火災を起こしかねないとあって、水の入ったバケツを多数用意。「トレーニングだ」と先輩に言われた練習生やデビュー間もないヤングライオンたちが、水の入った重たいバケツを両手に持って右往左往している。
日本の夏、レスラーの夏。今ではありえないコトが日常だった時代があった。(敬称略)

