プロレス解説者の柴田惣一さんが取材した「プロレスのアレコレ」を紹介する「柴田惣一のよもやま話」。今回は「超巨体」前編です。ふたり合わせて600キロ越えのマクガイヤー兄弟の伝説を振り返ります。
レスラーはデカくてゴツイ。かつての定説も、時の流れとともに変化しつつある。世界最大のプロレス団体である米WWEがきっちりと絞り込んだマッチョボディを条件としてから、レスラーの見た目が定番化してきたのも事実。
KENSOこと鈴木健三は「ビンス(マクマホン・ジュニア)からハッキリと言われた。『太ったヤツは使わない』とね。ボスの方針だから、みんな、そりゃ無駄な贅肉はそぎ落とすよ」と証言する。
確かに見た目もスタイリッシュで格好が良い。「WWEにならえ」ではないが、日本だけでなく世界中のリングに登場するレスラーが、似た感じになってしまったのも自然な流れだったのかも知れない。
思えば、昭和のプロレス界にはナチュラルな体が主流だった。「筋肉の上に脂肪をつけろ。適度な脂肪がダメージを小さくする」などと言われていたものだ。
それどころか人間離れした「怪物」の様なレスラーこそ話題を集めて人気を呼んでいた。個性があふれる世界だった。現代よりも多様性の時代だったかも知れない。
中でもビリーとベニーのマクガイヤー・ブラザーズは、今のプロレス界では想像もつかないほどの超巨体の双子だった。
ギネスブックに「世界一重い双子」と登場していただから本物だろう。ビリーが330キロ、バニーは339キロと記載されていた。
ふたり合わせて600キロを超えるいまだに破られていないスーパーヘビー級コンビは、1971年に米テキサスでプロレスデビューしている。
1974年には新日本プロレスに来日。ストロングスタイルを謳う猪木・新日本に登場とは意外だが、1972年の旗揚げから外国人レスラーの招へいに苦労していた新日本にとっては「600キロコンビ」の参戦は、苦肉の策だったのではないか。
しかも坂口征二、星野勘太郎組、木戸修、長州力組にも勝利している。2対4、2対5、2対6などの変則タッグマッチも実現しており、マクガイヤー兄弟は大いに注目を集めた。
ふたりは体重をフル活用して対戦相手の上にのしかかった。そして転がる。まさにスチーム・ローラーの動きで相手を仕留めていた。
ただ、猪木にはかなわなかった。1975年2月6日、東京・大田区体育館大会では猪木がビリーとベニーをふたりまとめて相手にする1対2の逆ハンディマッチが実現。ふたりはコーナーに追い詰め圧し潰すなど、猪木を追い詰めたが、ベニーがコーナーに逆さづりにされビリーが孤立。猪木のポスト最上段からのフライイング・ニードロップで敗れた。
猪木には苦杯をなめたマクガイヤー兄弟だったが、試合会場だけでなくテレビのバラエティ番組に出演しいよいよ人気を集めた。普段からとても仲が良く「ママのお腹の中にいた時からずっと一緒にいる。離れたことはない」と息もピッタリだった。
じつは移動も一苦労だったふたりに、当時東北地区担当の三浦庄吾プロモーターが、バイクをプレゼント。花道をバイクに乗っての入場を提案。何とも愛嬌あるマクガイヤー兄弟にファンも大喜びで大会の名物になった。普通のバイクがまるでミニバイクの様だったが、ふたりも「これは良い」と大喜びだった。
バケモノ扱いにするのではなく、あくまで人として扱う日本の「おもてなし」精神に、ふたりは日本を大好きになったようだ。
ビリーが1979年に交通事故で死亡。ベニーもプロレスを続けようと新たなパートナー探しに取り組んだが、双子コンビの様にはいかず引退。2001年に54歳で亡くなった。
古き良き時代のプロレス界でひと時の輝きを放ったマクガイヤー兄弟。その巨体は存在自体がまさにプロレスラーだった。(敬称略)


