元ボディビル王者にして、日本の筋肉研究の第一人者。スロートレーニング(通称スロトレ)などを普及させ、トレーニング界の発展にも貢献してきた「筋肉博士」こと石井直方・東京大学名誉教授は、二度のがんを経験し、現在も闘病の日々を過ごしている。あらためて自身の身体と向き合ったことで気づいた筋肉の大切さとは?
無菌室で抗がん剤を超多量投与
――悪性リンパ腫が発見されたのは2016年。最初はどのような診断だったのですか。
石井 ステージ4なので、そもそも病院に行った時は末期ですよね。腹水が4リットル以上でしょうかね。一度、救急病院で抜いてもらったんですけども、また増えてきちゃって。
――それまで体に異変は?
石井 しんどかったんですけど、最後はしょうがなくなって。ちょっとヤバいかなと本人も思いながら。いろんな変な症状がいっぱい出てきて。たとえば筋肉のけいれん。よくふくらはぎとかつりますけどね。ふくらはぎどころじゃなくて、全身の筋肉が同時につるようなことが起こってですね。もうどうしようもなくて、そのまま引くまで我慢するしかないような(笑)。ミネラルバランスが崩れてたんですね。全身の筋肉が脱水症状でけいれんが起きた。そんな感じですかね。
――それ以外に目立った症状は?
石井 発熱ですね。夜、ものすごい寝汗が出るわけです。朝、汗びっしょりで。汗びっしょりなので熱は下がっているんですけど、1日働いているうちに熱が上がって、夜になると39度くらい熱が出てきて、また朝下がって。2か月ぐらい、ずっとそんな状況でした。
――その間に病院は行かなかったですか?
石井 忙しかったのもあるし、やっぱり自分の体力を過信していたと言うか。入院したこともありませんでしたしね。自力で治っちゃうだろう、そのうち治るだろう、トレーニングすれば治るだろうみたいな、楽観視したところがあって。こればかりはそうでもなかったですね(笑)。
――オリンピックのようなビッグイベントが近づくと、さらにお忙しかったと思います。
石井 たしかに。救急に入る1週間くらい前にNHKの収録でテレビにも出ていますので。柔道の古賀(稔彦)さんと一緒に。あの時、もうおなかが膨らんでてね。元気そうなふりをして出ていました。でも古賀さんのほうが先に亡くなってしまいましたもんね。
――最初の治療では半年間で3回入院されたそうですね。
石井 それはわりと標準的な治療スタイルだと思いますね。まず原発性かどうか、つまり他にがんがないかを隅々までチェックして、抗がん剤を投与する。2回目の入院で自分の骨髄の造血幹細胞(血球をつくる源になる幹細胞)を採取。それが2週間くらいですかね。最後に自分の造血幹細胞を移植する手術を1か月くらい無菌室でやる。抗がん剤を超多量投与して、残っている造血幹細胞を根絶やしにしてしまうんですけど、主に白血球をつくる幹細胞をやっつけてしまうので免疫が効かなくなりますから、そもそも無菌室に入ってしばらく生活をして体の中を無菌状態にしてからでないとできないわけです。なので無菌室に閉じ込められて、1か月間ずっとそこで生活する。独房みたいなところで生活するような感じですかね(笑)。
――超多量投与ということは、抗がん剤の副作用も激しそうですね。
石井 1回の投与量が多いのを3日続けてやるので、副作用としてはものすごい出ますよね。口内炎とか、そういったものが。体の中の再生組織と言うか、盛んに再生するところが全部やられるので、口の中の粘膜とか消化管の粘膜とか、そういうのも全部やられてしまいます。普通の抗がん剤をやった時の副作用の激しいやつが3倍ぐらいあるという、そのような感じでしょうかね。