BDNFはCPUをアップさせる?
前回は、「筋トレ後は、脳の海馬の中のBDNF(脳由来神経栄養因子)が増えることが実験でわかった」と書きました。ただし、BDNFが増えるという仕組みはわかってきたものの、その現象を引き起こしている物質や経路はまだ特定できていません。
2013年、「筋肉が運動すると、筋肉からイリシンという物質が分泌され、それが脳のBDNFを増やすのではないか」という論文が発表されました。きわめてセンセーショナルだったので、その後、多くの研究者がイリシンについて調べはじめました。しかし、血液中にイリシンが出てくる様子を決定的にとらえた研究発表は今のところありません。ということで、「筋トレでイリシンが出る」かどうかはまだ決着していない現状です。
前回説明した私たちの研究も、当初は「筋トレでイリシンが出て海馬のBDNFを増やす」ということを前提に行いました。ところが、血液中のイリシンが増えるというはっきりした結果は出ていません。
ですから現在は、イリシンではない別の物質、もしくは神経系の刺激が効いているのではないかと考えています。
また、その実験ではネズミの脳の働きを麻酔によってオフにしました。ただ、麻酔の薬理効果による影響は完全に解明されているわけではないので(眠っているように見えても、筋トレに関連する脳の領域が働いていたり、あるいは麻酔と電気刺激の相互作用によって人為的にBDNFが増えたりする可能性もある)、今後もあらゆる可能性を潰すような補足的実験を続けていく必要はあると思います。
完璧な結論付けがなされないまま、希望的観測だけで騒がれてしまうと、最終的には「寝ている間にEMSで筋に電気刺激を与えるだけで頭が良くなり、認知症も予防できる」といった短絡的な方向に進んでしまう可能性があるからです。
あくまで現時点では、「筋肉を肥大させるレベルの強度の高いトレーニングを行なうと、筋肉からの指令によって海馬の中のBDNFが増える可能性がある」というレベルで認識しておいてほしいと思います。
もう一つ、海馬の中のBDNFが増えると「頭が良くなる」と言えるかどうか、という問題もあります。
「あいつは頭が良い。テストはいつも100点だ」というのは、もともと脳の機能が高いということなのか、それとも、脳の機能にかかわらず努力によって点数を上げたのか。後者だった場合、単純に「頭が良い」とは言えないでしょう。
たしかにBDNFの増加は学習効率をアップさせたり、認知症の予防になったりするとされています。それを「頭が良い」とするのであれば、「筋トレをすることで頭が良くなる」と言ってもいいかもしれません。ただ、「筋トレをすると自動的に成績が上がる」ということでは決してないということです。
コンピュータで言えばCPUの機能が一段上がるというくらいの認識はアリだと思います。コンピュータの性能が上がっても、それだけで何かができるわけではありません。必要なソフトを入れたり、情報を入力したりしなければ、ただの箱と同じです。
当然、人間の場合も反復練習を行なったり、暗記したりする努力をしなければ、本当の意味で賢くなることはできないでしょう。
ただ、ベースとなるCPUの機能が上がれば、覚えが速くなったり、成長効率がアップしたりするはずです。それが結果的に「頭が良くなる」ためのサポートになることは十分に考えられます。
1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学・大学院教授。理学博士。東京大学スポーツ先端科学研究拠点長。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍中。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。
石井直方研究室HP
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