職業、プロレスラー。デビューは1971年の5月9日。強靭な肉体が売りの過酷な世界で、半世紀以上もリングに立ち続ける男がいる。藤波辰爾、69歳——。12月28日に古希を迎えるリビングレジェンドの、50余年にも及ぶトレーニングライフを振り返る。
「非科学的なトレーニングがなければ、今も現役を続けることはできなかった」
——69歳とは思えない肉体を維持されていますが、今日はその秘訣の一端をお聞かせいただければと思います。
「あまり年のことは言いたくないですが、12月で古希ですからね。僕がリングに上がっているのを見てまわりは『若い』と言うんですが、たしかに若いとは思います。我々は元気を売り物にしているので、一番大事なのは自分自身の意識でしょう。こういうことを言うと変に捉える方もいるかもしれないですけど、僕は冗談半分で『健康のためにプロレスをやっています』と言うんです。そう言うとみんな笑うんですよね。でも、事実なんです。健康じゃないとリングに上がれないですし、体を維持するには毎日の運動がないとダメですから」
——現在は週に何回トレーニングをされているのでしょうか。
「トレーニング用にワンルームを借りていて、そこに行ける時は4~5回行っています。本当は毎日行きたいくらいなんですけど、そこは時間との兼ね合いですよね。メニューは昔みたいに極端に負荷をかけることはしないです。ウエイトにしても軽い重量で回数を多く。結果的にそのほうがケガ防止の観点で見ても筋肉を効果的に維持できていると思います」
——そこは専属のパーソナルトレーナーのアドバイスでしょうか。
「そうですね。トレーナーがつくのは週2回で、もう30年くらい見てもらっています」
——それまではスクワット数千回とか、非科学的なトレーニングが中心でしたか。
「ウエイトでも他の選手と競うように重いものを挙げていました。自分はベンチプレスの最高が185㎏ですけど、荒川(真)とかは200㎏くらいを挙げて最後は筋肉を切ってというバカなことをやっていました。佐山(聡)もすごかったし、山本小鉄さんなんかは立った状態で胸にコップが乗っかっていましたからね。異常ですよ(笑)。小鉄さんはよく『リングに上がる者たるもの金の取れる体をつくれ』と言われていました」
——今でもその言葉が頭に残っていますか。
「それはありますね。レスラーは体があってナンボのところもありますから。その上で動ける体をつくらないといけないと、息子の怜於南にも言っています。昔の練習法は間違った部分も多いんでしょうけど、昔の選手のほうが粘り強さはあったんじゃないですかね。あの頃の非科学的なトレーニングがなければ、逆に今も現役を続けることができていなかったと思います」