マッチョドラゴンのトレーニング事情【70歳を迎えるレジェンドの肉体/藤波辰爾#2】




リングに上がれるくらい健康であり続けたい

——動物園で一日中、ゴリラを見せられたというエピソードが有名です。

「休みになるたびに動物園に連れていかれました。いろんな動物がいるんですけど、ゴッチさんは他の動物には見向きもしない。ひたすらゴリラばかり見ている。そして『あれだけ大きな体をしているのに、檻にぶら下がったり自由自在に動き回っている。ゴリラはウエイトをしなくてもあれだけ動けるだろ? 本来は人間もああじゃないとダメだ』と言うんです(笑)。一緒にしないでよと思いましたけど、ゴッチさんによれば昔は人間にもそういった能力があったけど退化してしまったというわけです。外へ連れ出してもらうとなったら必ず動物園でしたね」

——ちなみに海外の食事は合いましたか。

「ドイツもメキシコも、僕は合いましたね。もちろんメキシコでは体重が落ちましたけど、落ちるといっても元々、僕の場合は体重がないから(笑)。 日本に帰ってからも太らないから、自分だけ夜食とは別に深夜にも食事を摂っていたんですけど、それでもダメでした。朝も他の選手は練習があるのであまり食べないんですけど、自分は早くに起きてご飯に味噌汁をぶっかけて食べていました」

——凱旋帰国してからはジュニアヘビーという階級を確立するなど大ブレイク。スター選手だけに練習時間を確保するのも大変だったと思います。

「年間に240~250試合くらいやっていた時代ですからね。シリーズの間に1週間くらい休みがあったんですけど、その間はニューヨークの試合にも出ていました。マディソン・スクエア・ガーデンでWWFジュニアヘビー級王座の防衛戦をやるというのが決まりだったので、試合の翌日朝に渡米して、試合が終わったらトンボ帰りというのを普通にやっていました。でも自分自身も一番乗っている頃で、今で言う野球の大谷翔平選手と同じだと思いますよ。彼も今は夜が明けるのが待ち遠しいくらいじゃないのかな。自分も早くリングに上がりたいという感じで疲れを感じなかったです。あとポスターに顔写真が載っているのに試合を欠場したら、プロモーターにお金をいくらか返さないといけなかったので、少々の打撲や骨折では休ませてもらえなかったというのもありますよね」

——藤波選手と同じようにはいかないと思いますが、同年代の方にアドバイスを送るとすればどのような言葉になるでしょうか。

「運動は絶対にありきですよね。よく寝てよく食べてよく運動をすると。基本的なことを、しっかりやることだと思います。お腹が出るからとご飯を食べない人もいますけど、ご飯は絶対に食べないと。あと気持ちがモヤモヤした時にも運動は最適です。自分にも気持ちが乗らない時はよくありますけど、体を動かすとモヤモヤしていたものが消えてきてポジティブな考えになっていくんですよね。今はお手軽に着の身着のままで通えるようなジムもあるので、ちょっと自転車を漕ごうかという程度でいいのでやってごらんということですよね。体を動かさないと何も変わってこないですよ。一歩踏み出して、まず体を動かすというのが大事だと思います」

——わかりました。では最後に、藤波選手自身の今後の目標もお願いします。

「70歳までリングに上がるというのはほぼ確実だと思うので、そうなると目標を上げていきたいですね。75歳、80歳と。人生いつまでリングで受け身を取れるのか。僕の年だったら言ってもいいのかな。変な意味ではなくて健康のためにプロレスを続けたいというのは。今はリングに上がれるくらい健康であり続けたいという気持ちです。あとは自分自身だけではなくファンのためにも、リング上の夢の続きをもう少し見ていきたいですね」

取材・文・写真/松浦俊秀
写真提供/株式会社カートプロモーション

藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)
本名:藤波辰己。1953年12月28日、大分県出身。183㎝。108㎏。ドラディション所属。1971年5月9日に日本プロレスでデビュー。1974年、カール・ゴッチ杯優勝。1978年にマディソン・スクエア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダを破り、WWWF(WWF)ジュニアヘビー級王座を獲得。日本にジュニアヘビー級というジャンルを確立させる。その後、ヘビー級に転向。長州力との名勝負数え歌を筆頭に、多くのベストバウトを生み出す。2015年には日本人ではアントニオ猪木に続き、2人目のWWF殿堂入りをはたす。Twitter。藤波辰爾公式YouTubeチャンネル「ドラゴンちゃんねる