フルコンタクト空手のビッグイベントである新極真会の第13回世界大会で新たに型競技がスタート。その日本代表に45歳の谷口亜翠佳が選出された。遅咲きの女子空手家が人生最大のチャンスをつかんだ原動力とは――。
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世界大会という言葉を聞いて、鳥肌が立った。日の丸を背負って戦う日など、自分の人生には訪れるはずのないものと思っていた。
谷口亜翠佳が世界に10万人の会員を有する新極真空手の門を叩いたのは28歳の時。インストラクターのライセンスを取得するほどハマっていたスノーボードのための体力強化が目的だった。入門者の低年齢化が進む中、誰が見ても遅いスタートだったが、すぐに稽古の楽しさに魅了された。雪上で培った体力と負けず嫌いな性格もあり、日ごとに成長していく喜びも感じた。
一方で、全身を直接打ち合い蹴り合うフルコンタクトルールへの苦手意識から、当初はどこかでブレーキをかけてしまう自分もいた。
「組手が大嫌いで。痛いし、ケガもするし、なんだよコレ!と思っていながらやっていました。当時は体重が38㎏くらいしかなかったので、ちょっと打たれたり蹴られたりしただけで肉離れもするし、歩いて帰るのも大変。稽古自体は好きだったので、私は型が上手になればいい。組手はほどほどに、と思っていました」
型の試合では結果もすぐについてきた。入門から3年後の2008年には長野県大会で優勝。2009年には国内最大級の空手の祭典「カラテドリームフェスティバル」(以下、DF)で型競技が始まり、そこでも3年連続でファイナリストとなる。型ならトップを目指せるかもしれない。そう思うと、その稽古にますます夢中になった。
とはいえ、かつて「地上最強のカラテ」と呼ばれて世界中に普及した極真空手では、組手を避けては通れない。黒帯を締めるには“十人組手”という荒行も求められる。意を決した谷口は意識を変えて組手に真剣に取り組み、2011年3月、念願の黒帯を取得する。
痛みや怖さを乗り越えているうちに、心身が変化していくのを実感した。風邪を引かなくなり、もともと前向きだった性格はより前向きに。食生活を意識したことで、38kgだった体重は50kg前後まで増えていた。
仕事の都合で現在の東京ベイ港支部に移籍し、全日本ウエイト制大会3位の実績を持つ小井泰三師範の指導を受けるとポテンシャルは一気に開花した。2012年、DFで史上初となる組手・型の2冠を達成。空手家・谷口亜翠佳の名は全国に知れ渡った。
支部では師範代として指導も任されるようになったが、選手としての挑戦はさらに加速していく。面を着用するセーフティルールのDFを飛び出し、本格的なフルコンタクトルールの全国大会へ。そこでは一回り以上も若い“ユース世代“との戦いが中心となり、相手の身体能力に何度も跳ね返されたが、そのたびに充実感を味わったと言う。
「正直、ユース世代から勝ちをもぎ取るのは難しいです。体力的にもキツいんですが、負けた試合からも学ぶことが本当に多いし、終わった後の爽快感がすごい。最初は怖さもありました。でも、やらないで後悔するよりも、やって後悔したい。やってみないと何が起こるかわからない。なので、若手に胸を借りるのではなく、勝ちにいくという気持ちで戦ってきました」