それでもサッカーが好きだったので、諦めることはできなかった
Jリーグが開幕した1993年に、FIFAU-17世界選手権が日本で開催された。中田英寿、宮本恒靖、松田直樹など、のちに日本代表で活躍することになるメンバーが数多く出場したこの大会で、ひときわ輝きを放っていた選手がいる。それが財前宜之だった。彼はベスト8という成績を残した日本代表の中で、エースナンバー「10」を背負い、リーグ戦の全3試合でマン・オブ・ザ・マッチを獲得した。
しかし順風満帆にキャリアを積み上げているさなか、予期せぬケガに見舞われた。
「当時、18歳だったんですけど、イタリアのラッツィオというチームに1年間留学していました。そのオフにヴェルディ(現・東京ヴェルディ)が20歳以下の選手が出場するブラジルの大会に参加するということで、助っ人として参加したんです。そのときの練習で前十字靭帯を断裂してしまったんです」
18歳という若さで選手生命を脅かしかねない大ケガに見舞われた財前。しかし、当時の彼はことの深刻さに気付いていなかったという。
「1回目のときは、前十字靭帯がすごく危険で復帰が難しい大ケガだっていうことが理解できていなかったですね。半年ぐらいのケガだろうというのが、心のどこかにありました。リハビリも今考えると疎かでした。『どう頑張っても6カ月はサッカーできないんでしょ』という感覚で。やはり、どこかあまかったんですね。相当筋トレして、どれだけ頑張っても、もう1回ケガしてしまうリスクがあるんだってことが、18歳の僕には正直理解できていなかったですね」
結果的に半年での復帰が叶い、所属するチームもスペインのCDログロニェスに決まった。
「いろいろなクラブに行ける実力が、そのときはまだあったので、すぐにスペインのチームに所属が決まり、『よし、行くぞ』と」
しかし、悪夢は続く。スペインに渡ったものの、リーグ戦に復帰する前に、2度目の靱帯断裂に襲われてしまった。
「簡単に言うと、そこは復帰が早すぎたんですね。『もうヨーロッパでサッカーはできないな』と思い、日本に戻ってからまたリハビリを始めました。そのときは1回目とは比べものにならないくらい必死にやりました」
少なくとも復帰までに1年は要するケガだったが、あまりにも短期間で復帰を果たしたがゆえに、再び同じケガに襲われてしまった。
「必死にリハビリをしていましたけど、体のバランスがどんどん悪くなってしまって。自分の場合は、左膝を2回ケガしていたので、そっちをかばっているうちに今度は右膝に負担をかけてしまっていたんです。例えば、左足のアキレス腱を切ったあとに、右足のアキレス腱を切ってしまう人がいるように、靱帯を断裂したときも膝にかかる負担がどんどんバランスが悪くなってしまいました」
その後、1999年に財前はベガルタ仙台へ入団するも、これまで左足を庇っていたことが遠因となり、今度は右膝の前十字靱帯断裂という悲劇が彼を襲った。
「ベガルタ(仙台)に拾ってもらった直後に、右足をケガしてしまった。合計3回も靱帯を切ってしまったら、もうサッカー選手としてやっていくのは本当に無理だろうなというのは正直ありました」
3度の前十字靭帯断裂はスポーツ選手にとって致命傷と言ってもいい。それでも財前は諦めなかった。「なによりサッカーが好きだ」という思いを盾に、復帰を誓い、3度目のリハビリを開始した。
「遅いんですけど、これが本当にラストチャンスだと思ってトレーナーをつけ、もう死ぬ気で『本当にこんなにやるのか』っていうぐらい必死にやりました」
もしかしたら、この悲劇ともいえるケガを“チャンス”として捉えられたことが、その後の彼のサッカー人生を大きく変えたのかもしれない。
「まだ22歳でしたし、諦めることはできなかったので、最後のチャンスだと思って、そこで初めて一回りも二回りもお尻からモモから鍛えなおしました」
文字通り“死に物狂い”のリハビリを見事にやり遂げた彼は、2000年のシーズン途中からチームに復帰し、その後2001年J1昇格がかかった、J2最終節の京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)戦では、後半のロスタイムに、記憶に残る美しいボレーシュートで試合を決める得点を挙げた。彼はチームの象徴として、今でもファンにとっては特別な存在だ。
財前を苦しめた『前十字靭帯断裂』というケガ自体は、よく聞く名前だが、そもそもそれは一体どれほど恐ろしいケガなのだろうか?
「ロナウドもバッジョもデルピエロも、みんな前十字靭帯断裂に苦しんでいますけど、相当恐ろしいケガなのは間違いないです。今は僕自身、普通にサッカーをやってますけど、1回目のときの自分の雰囲気や気分を考えると『本当に難しいんだぞ』っていうのは、正直理解できていなかったですね」
彼はどのようにして『前十字靭帯断裂』という恐ろしいケガを克服したのだろうか?
1976年、北海道出身。元プロサッカー選手。U17ワールドカップではベストイレブンに選出されるなど、若くしてその才能を開花させる。現役時代はベガルタ仙台、モンテディオ山形などで活躍。その後タイに渡り、1年間活躍したのち、現役を退く。引退後はベガルタ仙台の育成部で子供たちを指導。2016年4月には、自らが主宰する『財前フットボールスクール』を開設する。
財前宣之フットボールスクールHP
取材・文/須崎竜太 写真/山中順子