独立、そして「松尾再生工場」スタート
「やっぱり、現役時代ケガだらけだったので。それが、今に生かされているんでしょう」と、松尾さんは振り返る。
社会人時代に松尾さんはすでに高校時代の同級生とゴールインし、家庭をもっていたのだが、それでも独立という道を選んだ。
退社後、ごく短期間、神戸の高校でトレーナーとして実績を積んだ後、松尾さんは社会人時代のつてを頼って、飲食店の運営に携わることにした。一見ブレブレのこの行動も、まずは、マネジメントの勉強からという将来の独立開業の通過点であった。昼はうどん屋、夜は居酒屋と、トレーニングとは無縁の生活を1年ほど送っていたとき、指導していた高校から「戻ってきて欲しい」とラブコールがかかったのだ。この高校、神港学園が、2006年春の選抜で甲子園出場を果たした。これを松尾さんの指導の賜物と考えた野球部は、カムバックを要請してきたのだ。
「本業」であるトレーナーに戻ったはいいものの、高校での指導は週数回。それだけでは生活を維持するのは難しく、引っ越し屋やパチンコ屋のアルバイトで糊口をしのいだ。本格的に高校野球の指導者になる選択肢もあったが、松尾さんのゴールはやはりトレーニング指導。共働きで資金を貯め、2009年、ついに、WINNIG BALLを開業し、一国一城の主となった。
長年の経験と研究に裏打ちされた「Matsuo method」は、すぐに評判を呼び、競技を問わず、トップアスリートから一般人のシニアに至るまで多くの人が松尾さんの門を叩いた。その中でもやはり松尾さんの「本職」野球については、これまで20~30人のプロ選手が、「Matsuo method」によりその才能を開花させている。
はじめてプロ選手の指導を行なったのは、当時地元球団、オリックスに在籍していた後藤光尊選手(すでに引退)だった。その高い身体能力で、2010年代前半のオリックスの不動のセカンドとして活躍した後藤選手だが、2001年に入団したときのドラフト順位は10巡目。多くを期待された選手ではなかった。2年目にはショートのポジションを取ったかに見えたが、その後も相次ぐ故障でレギュラーには成りきれず。2008年にようやく規定打席に到達したものの、翌年はケガで成績を大きく落としてしまう。後藤選手がWINNIG BALLの門を叩いたのは、そんなときだった。
「彼は、JFEの後輩だったんです。だから、能力が高いのはわかっていました。プロ入り後は、ほんと、ケガだらけでくすぶっていたっていう印象ですね。ただ、物事を見る目は高かったんで、すぐに僕の言うことを理解してくれました。やっぱりカンがいいんですね」
松尾さんが、後藤選手に伝えたのは、野球そのものの技術というより、体を動かす根本的な意識だった。それまで、筋力、瞬発力でバットを振っていたのを、意識を変えることによって、体全体をうまく連動させて打つ、あるいは投げるように指導したのだ。その効果はてきめんで、ケガも癒えた2010年シーズンには不動の3番打者としてチームを牽引、翌年にはキャリアハイとなるリーグ3位の打率.312を残した。
現在、WINNIG BALLで肉体改造を行なっているトップアスリートは多岐にわたる。野球はもちろん、マラソン、ゴルフ、サーフィンに空手といった格闘技まで、さまざまな競技の選手が、競技そのものというより、どのアスリートにも通じる根本的な体の動かし方をここで学んでいる。
「でも、別にプロ選手への指導にターゲットを絞っているわけではないんですよ」と松尾さん。実際、WINNIG BALLの客層は幅広い。
「一般の方、シニアの方も多くいらしています。その目的もいろいろで、健康の維持・増進っていう方もおられれば、肩こりや腰痛を直したいという方もおられます。『病院にリハビリに行っても直らない』とやってくる方もいらっしゃいます。それでうちにきてトレーニングにはまって今ではすっかり良くなったって言われるとうれしいですね。あるいは、ゴルフ好きなのに頻繁にぎっくり腰をやっちゃうご年配の方がいらして、『年取って体がダメになってプレーできなくなるのが嫌』ってことでうちに来たんですけど、今では、1日2ラウンド回っても、翌日ピンピンしています」
「Matsuo method」の秘訣は、すべての人間に通じる体の動かし方の根本の修正にあるようだ。
現在も松尾さんはスタッフとともに、シーズン中もプロの各球場を巡り、選手の指導を行なっている。スタッフのうち、野球経験者は松尾さんだけだが、問題ないと言う。
「今までは、柔軟性をつけたければ、ストレッチ、パワーをつけたければ、筋トレという感じだったのでしょうが、実際、ウエイトをやりました、筋力をつけました、即、競技力が上がりましたというわけではないでしょう。筋力だけで競技力が上がるわけではないです。体を伸ばす柔らかさと筋肉そのものの柔らかさとはまた違います。現状の筋力でいかに効果が出るか、それが大事だと思うんです。体の動かし方を教えるのに、どの競技をどのレベルでやっていたかは、関係ないと思います」
(第4回に続く)
取材&文&撮影・阿佐智