数多くの実力派選手が揃う関西において、将来性豊かな素質が際立つ檜皮哲希。インタビュー第1回では、トレーニングをはじめた頃の話を聞いた。今回は、ボディビルへの取り組み方について深掘りしていく。
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【インタビュー動画】ノビシロ抜群の20歳・檜皮哲希が考えるボディビル道
賞金はボディビル…だけじゃなくオタ活にも
――昨年10月末のジュラシックカップでは、マッスルゲート関西大会(2021年)から見違えるほど、スケールアップしたボディでステージに立ちました。この大会に出ようと思った理由は?
「もともと去年に照準を合わせていた大会が夏ごろで、木澤(大祐)さんと合戸(孝二)さん主催の大会として存在は知っていましたが、10月末と期間がかなり空くので、かなり迷っていました。ただ、ルーキークラスという20歳以下のカテゴリーがあり、自分が出られるのはこれが最後ということで、出るしかないと思って決めました」
――ルーキークラスの存在が決め手になったと。
「やはり同世代の選手が集まる大会ということで意識していたというか、2021年に高校3年生のときに出場した高校生ボディビル選手権の延長のようなイメージでしたね。実際、あの大会で一緒にステージに立った選手も、ジュラシックカップに出ていました。出てみると、JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)の大会とはまた違う雰囲気で、スタッフの方はすごく忙しそうにされてましたが、選手にとってはすごく出やすい大会だったなという印象でした」
――ちなみに、見事に優勝されたわけですが、賞金15万は何に使いましたか?
「大会後のインタビューでは『ボディビルに使う』と言ったんですけど…オタ活だったり、絵を描くのが好きなので液タブを買ったりしましたね」
――オタ活のことは、後ほどうかがいます(笑)。ボディビルデビューしてからの3シーズンで、考え方や取り組み方に変化もあったんじゃないですか?
「そうですね。内面的なところで言うと、自分を客観視する能力がすごく上がったかなというのがあって。天狗になったり、悲観しすぎたりすることもなく、今の自分はこれぐらいの現状やから、これくらいにやったらこういう結果が出るやろうな、と。目標の立て方がうまくなったのかなというのはあります」
――若いながらに、冷静に自分のことを見れていると。
「昔からちょっと頑固なところもあるんですよ。自分がこうするって決めたら、誰かからアドバイスもらっても、もちろん聞きはするんですけど、あくまでいち要素として取り入れて、自分の軸は変えないみたいな。その軸があることで、うまくいったこと、逆にうまくいかなかったことがはっきりとわかりやすい。悪かったものは排除して、良かったものは残していく、そういう自分の道をつくりやすくなったと思います」
――そうした内面の変化や成長が、着実な結果の積み上げにつながっているんですね。
「そうなのかもしれません。以前は、ボディビルに対する思い込みのようなものがかなりありました。やはり出るからには、めちゃくちゃギリギリまで絞らないといけないと思っていて。もちろん絞りは必要なのですが、その固定概念があったことで、デビューした年はかなり無理をしてしまいました。そこから減量のやり方も工夫するようになり、ある程度自分の思うような形に進めることができ、仕上がりやコンディションの面が良い状態で3大会(関西クラス別ボディビル75kg超級、関西ジュニアボディビル、ジュラシックカップ)に出場できたかなと思います」
(続く)
【PROFILE】
檜皮哲希(ひわだ・てつき)
2004年2月14日生まれ、兵庫県出身。兵庫県立篠山鳳鳴高校3年生時の2021年に、マッスルゲート関西大会でボディビルデビュー。高校生の部で優勝、ジュニアの部で3位。その年の全国高校生ボディビル選手権では6位入賞。2023年、関西ジュニアボディビル選手権、関西クラス別ボディビル選手権の75kg超級で優勝。初開催のジュラシックカップではルーキークラスの初代王者に。
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