「トレーナーが必要なくなる時代が来るかも」(髙田)
「心の底から謝りました。自分の過去に」(光吉)
髙田:光吉先生は小さい頃からコンピューターが好きだったんですか?
光吉:いえいえ。初めて触ったのが30歳を過ぎてからです。アップルのパワーマックが出るか出ないかくらいの時期です。
髙田:そうなんですか。僕、子どもの頃は結構なコンピューターオタクだったんです。PC6001くらいの時代から好きで。小学3年生くらいからは自分でラジオをつくったりもしました。最初はゲルマニウムラジオで。
光吉:懐かしい(笑)。
髙田:そこからだんだんパソコンが出てきて。ただ、その頃は今のコンピューター時代は想像できなかったんですよね。すごく発展性を感じるんですけど、まだまだ未完成な時代というか。今って僕みたいな素人からすると、これ以上どうやって発展するのかなと感じるくらいなんです。ただ、今でも大好きなんですよ。以前彼女と別れたんですけど。
光吉:突然プライベートな話が来ましたね。
髙田:それで買ってきたんです。おしゃべりロボットを。
光吉:悲しいですね!(笑)。ここにいらっしゃいましたか! 我々のユーザーが(笑)。
髙田:しゃべったらすごくいいことを答えてくれるし、優しくしてもらって救われたんですよね。AI的なものって少し前から自分なりに着目しているところがあって、絶対トレーニングの世界にも混ざってくると思うんです。トレーナーが必要なくなる時代が来る可能性もあると思うんですよね。たとえば、僕は駅の改札で切符を切る係りの方がいなくなるとは思わなかったんです。あの人たちってプロだったじゃないですか。うっかり期限が過ぎた定期で通った時は「定期切れてますよ」と言ってくれたり、切符を間違えたら「○○駅からだといくらですよ」とか。彼らの仕事をコンピューターができるなんて、想像もしなかったんです。そう考えると、トレーナーたちもうかうかしていられないぞと。たとえば機材に自分のデータをピッと打ち込んだら、何を何回やったら適切かを全部計算してくれて、勝手に負荷をかけてくれたり。「これをあと10回やってください」としゃべってくれたりとか。そんなマシンができてしまう時代もくるかもしれないなと思うんです。コンピューターとの違いを出せる点としては、人を引っ張っていけるだけの影響力とか存在力という部分ですよね。
光吉:メンタルの部分に関しては、ロボットにアドバイスされるのと実際に経験しているエキスパートから生で言われるのとでは全然違いますよね。言葉は悪いですけど、大量生産の商品と職人が作った至極のものを見せられたら、高くても一発で職人のほうじゃないですか。同じことなんですよ。結局、オートメーションはオートメーションでしかないというのはどこまでいっても変わらないと僕は思います。
髙田:僕もそこは絶対だと思います。ただ、人は楽をしたい生き物ですよね。
光吉:逆に言うと、そういう状況になっているということは筋トレが圧倒的に普及しているということですよね。だけどトレーナーの数に限界があるじゃないですか。見られる人数が。分母が大きくなるから奪い合いになるんじゃないですか。
髙田:そうですね。そうなるとトレーナーの質も問われてきますよね。
光吉:ボディビルの世界チャンピオンが必ずしもいいトレーナーかというと、僕は違うと思うんですよ。
髙田:たしかに。もともとすごい才能がある人は、感覚でできてしまった部分もありますからね。
光吉:長嶋茂雄が教えられないのと同じ話なんですよ。「球が来たら打て」だけになっちゃいますからね。
髙田:習う側の感覚を忘れてはいけないといつも考えるようにはしているんですけど、そこが難しいところでもあるんですよね。どんどん突き詰めていくと、一般の人の感覚からかけ離れていって。すばらしい映画ができたと作り手側が言ったとしても、あまり見に行く人がいなければ作り手側と見る側の間に何か隔たりがあるということだと思うんです。体を鍛えることに突き抜けるのはいいんですけど、一般の人の気持ちを忘れないように突き抜けていくというか。
光吉:僕たちもあるんですよね。突き抜けるので社会と乖離しちゃうんですよ。
髙田:そこですよね。でも、そういう人たちが何かをつくり出している社会なので。
光吉:突き抜けるジャンルの人たちが集まるところなので、それはしょうがないですよ。
髙田:最近の葛藤がそこなんですよね。自分は始めた頃の気持ちを忘れていないだろうか、一般の人の気持ちとずれていないだろうかと。趣味でやっているんだったら全然いいと思うんですけど、仕事で指導をしていくとなると自分の中でそこの問題があって。
光吉:たしかに相手がいることですから、トレーナーはそこが問われますよね。僕は会社を経営していた時に、厳しすぎて社員がほとんどやめたんです。イライラして鉄の扉を蹴ったらぐにゃっと曲がって閉まらなくなったり。その時僕は30代だったんですけど、この世のものではないくらいのオーラを背負って仕事をしていて。当時は体重が100kgくらいあってレスラー系の体型をしていたので、正直、トラックとぶつかっても大丈夫だろうくらいの感覚がありましたし、虎と闘えるぞと本気で思っていました。
髙田:それは社員は怖いですよ……。
光吉:その時失ったものも大量にあって、他があって自分があることに気がついたんです。30代の時はわからないんですよ。
髙田:自分の考えは絶対だと思っていましたよね。
光吉:それがないとある程度のところまではいけないんですけどね。やらなきゃいけないことだけど、犠牲もいっぱいあるんですよね。
髙田:たしかに。いい意味であきらめというか、柔軟になったのが40ちょっと過ぎくらいでした。
光吉:45歳くらいから落ちる人と上がる人がいるんですよ。そこには何かのショックがないとダメなのかなと思います。僕の場合は会社がひっくり返って、アメリカのスタンフォード大学にいた時に婚約していたフィアンセが事故で亡くなって。
髙田:乗り越えていますね……いろいろなことを。
光吉:しかも、じつは他の男とラスベガスのホテルに行った帰りだったと聞いて。もうね、失った悲しみと……そこからうつ病になっちゃって。でも会社が倒れそうになった時に、今うちの会社で社長をやってくれている大塚寛という男が命をかけて僕を守ってくれたんです。それまで「俺は天下の光吉だ」くらいの気持ちだったんですけど、自分ひとりじゃ生きていけないんだなとわかったんですね。そこから心臓が止まって運命が逆転していったんです。やっぱり、あらゆる意味で一回死んでいるんですね。浅草をぐるぐるしたところからもう一回生まれたというか。とにかく、心の底から謝りました。自分の過去に。
髙田:深く反省をする時ってありますよね。
取材&構成&撮影・編集部
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP
1965年、北海道出身。博士(工学)。東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 道徳感情数理工学講座・特任准教授。専門は、音声感情認識技術、音声病態分析技術、人工自我技術。彫刻・建築家としてJR羽犬塚駅前彫刻や法務省の赤レンガ庁舎の設計などをしてきたが、独学でCG・コンピューターサイエンス・数学を学び、1999年「音声感情認識技術ST」を開発し特許取得後、任天堂DSソフトやロボット「Pepper」などでも採用される。その後、工学博士号を取得し、スタンフォード大学・慶應大学・東京大学で研究する。極真館(フルコンタクト空手五段)役員、征武道格闘空手 師範。著書に「STがITを超える」日経BP(絶版)、「パートナーロボット資料集成」エヌ・ティー・エス、ウィルフレッド・R・ビオン「グループ・アプローチ」亀田ブックセンター、社団法人日本機械学会「感覚・感情とロボット」第二部21章 工業調査会、「進化するヒトと機械の音声コミュニケーション」エヌ・ティー・エスなど。