プロレス解説者の柴田惣一さんが、実体験をもとに数々のエピソードを紹介していく連載「柴田惣一のよもやま話」。今回は、昭和時代に活躍した大巨人レスラー・アンドレ・ザ・ジャイアントの逸話について。
令和の林業出身レスラーとして「WILDクイーン」ZONESが大暴れしているが、昭和の時代にはかなりの選手が「木こり戦士」を売り物にしていた。フランス語圏カナダ出身と自称する者が多かったが、世界的にも「カナダの山」のイメージが強かったのかも知れない。
代表格は何といっても「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアントだろう。223センチ、236キロの文字通りの大巨人。「世界8番目の不思議」の異名でも知られている。
フランス生まれでサッカー、ボクシング、レスリングなど、恵まれた体格と運動能力で少年時代から注目を集めていたようだ。
1964年にパリでアンドレ・ロシモフとしてプロレスデビュー。日本では、プロレスファンのバイブル「プロレス スーパースター列伝」で、フランス山中で木こりをしているところを発掘されたと紹介され話題を呼んだ。
どうやら、これはファンタジーだったようだ。とはいえアンドレの巨体を躍らせる怪力ファイトを生み出した源として、これほどピッタリのエピソードはない。スーパースター列伝にはさまざまなレスラーのいろいろな逸話が登場するが、大巨人の「木こり伝説」は、今なお語り継がれている。
とにかくアンドレは強くすごかった。その巨体からは想像もできないスピードがあった。しかも細かいテクニックも兼ね備えている。プロバスケット選手にも負けないくらいのスピーディな動きで、大方のプロレス技を使いこなしていたのだから、まさに世界8番目の不思議である。
世界中のマットで大暴れしたが、日本では自ら嫌われ者として振舞っている。日本以外ではリング上で子どもたちと踊るなど、大方で明るい正義の大巨人として活躍していた。
実際は常識人で知られている。「東洋の大巨人」ジャイアント馬場やアントニオ猪木のBI巨頭始め、日本人レスラーとの楽しい交流話が、よく聞こえてきた。ただしメディアやファンには「ゲッタウエイ(アッチに行け)」と門前払いをすることが多かった。
一時期、マスクマンに変身。ジャイアント・マシーンとしてマシーン軍団入りもしている。若松市政マネジャーの号令一下、黒いタイツ姿で躍動した。これほど正体バレバレのマスクマンもいなかった。
1993年1月27日に46歳で亡くなっている。その前年92年12月4日の日本武道館大会で馬場、ラッシャー木村の「ファミリー軍団」とトリオを結成し、大熊元司、永源遥、渕正信の「悪役商会」と対戦。会場を沸かすファイトを披露している。馬場、木村と組んだことで、素に近いアンドレが見られたのではないだろうか。
ビールは水代わり。飛行機の中や居酒屋のビールを全て飲み尽くした、ワインをラッパ飲みで1本を数秒で空にしたなど数々の豪快な伝説がある。
その反面、繊細な神経の持ち主でもあった。「アンドレの日本の彼女」と噂された女性を何度か見かけた事がある。153cmぐらいの小柄でかわいらしいタイプの方だった。
日本で会う度に、真っ赤なバラの花を渡していたという。3回目のデートでは3本、5回目では5本、というようにどんどんバラの数が増えていくロマンチックなランデブーだったそうだ。
稀代のプロレスラー・アンドレ。木こり伝説とともに忘れられない。(敬称略)


