プロレス解説者の柴田惣一さんが取材した「プロレスのアレコレ」を紹介する連載「柴田惣一のよもやま話」。今回は「病気を克服したプロレスラー」前編です。腎臓がんとの闘病に勝利した「絶対王者」にして「鉄人」小橋建太の生き様です。
2006年6月、衝撃のニュースが飛び込んできた。あの「絶対王者」小橋建太が「腎臓がんの治療のために欠場」するという。我が耳を疑った。
人一倍どころか、二倍、三倍の練習に打ち込む。そのファイトも恐れ知らずの真っ向勝負。三沢光晴、川田利明、田上明とともに「四天王」と称えられ、4人の激しく限界を超えたバトルは「四天王時代」と、日本プロレス史に一時代を築き上げた。今でも燦然と輝いている。
スタン・ハンセンなど巨漢外国人選手にも真正面から立ち向かっていった。巨漢揃いの全日本プロレスで、頑丈とはいえ、それほど大きさに恵まれたわけではない。いつの間にか「鉄人」とも呼ばれるようになっていた。
ただ激闘の代償は大きい。時にはヒザやヒジは元より腰、首など、ケガでの欠場に追い込まれることはあった。とはいえ、病気でのリタイアなど、考えもつかない。鍛え上げた頑丈な肉体と精神力を誇った小橋を思わぬ衝撃が襲ったのは、2006年だった。デビュー18年、39歳で、レスラーとして円熟期にあった時だった。
誰よりも小橋本人が驚いたに違いない。毎年の定期健康診断で異常は見つかった。「腎臓の再検査」という結果に、近くの病院に足を運んだが「ずっと健康だった」と自信があった。
ところが「腎臓がん」と思いもしなかった診断が下った。「エッ?」と驚くばかり。半信半疑で求めたいくつものセカンドオピニオンも変わらなかった。
当時はまだまだ「がん」は死に直結するイメージが強かった。小橋も「死んでしまうのか」との思いに支配されたと振り返る。
どうせ死ぬのならレスラーとして全うしたい。ギリギリまで試合に出続け、できるのならリング上で最後の時を迎えたい。小橋の切羽詰まった思いだった。
じつは告知を受けたのは、脳腫瘍から奇跡の復活を遂げた高山善廣の復帰を1か月後に控えた時だった。同い年の高山が一度は諦めたリングに戻って来る大一番の相手を務めるのだ。
「高山選手の復帰戦を闘い終えてから手術をしたい」という小橋の希望を、どの医者もキッパリ拒否。「何を言っている。自分をもっと大切にしなさい」と言われてしまった。
腎臓が破裂することは普通の生活では、まずありえない。ただ、腰や背中を何度も激しく強打するプロレスの試合では、いつ何時にでも万が一の事態が起きかねない。
まずは生きてほしい。生きてもらうために手術をさせてほしい。生きていれば何でもできる。まずは生きることを最優先にしてほしい。医師にここまで説得され、さすがの小橋も決断するしかなかった。
06年7月、小橋は手術を受けた。二つある腎臓をひとつ摘出。ステージは1と2の間だった。転移もなかった。手術は成功したが、練習はできず体もしぼんでしまった。
あのポジティブな男が落ち込んだ。日がな一日、ソファーに座りこむ日々だった。それでも復帰への炎が消えることはなかった。手術から1か月。道場のリングに寝転がると「自分の戻る場所はここしかない」と、熱い想いが心の底から沸き上がって来た。
まずは筋肉を戻す。ところが、筋肉に必要なタンパク質が一番、腎臓には悪い。リハビリは思うようにはいかなかった。それでも「俺の生きる道はリングにしかない」との決意が不可能を可能にし、医学の常識にも打ち勝ち、07年12月、小橋はリング復活をはたした。
13年5月に引退したが、腎臓がんからリングに戻った小橋は「鉄人」の異名をまさに不動のモノとしたといえるだろう。
プロレスにかける情熱がプロレスへの復活を呼び込んだ。リング上の小橋の勇姿は脳裏に刻み込まれているが、病気とのバトルにも勝利した小橋の粘り強い姿勢も感嘆に値する。
20年前の大病がウソのように元気な姿を、トークショーやイベントで見せてくれる「絶対王者」にして「鉄人」小橋建太。引退しても尚、今でもファンに勇気を与える存在だ。(敬称略)


